芸能人が歌の上手さをトーナメント形式で競うフジテレビの番組が放送されなくなって久しい。
つるの剛士がそこから歌の上手さでCDデビューするまでに飛躍したからだろうか。確かにそれ以上の到達点は無いような気がする。
全員が本気で歌っているので、全員が輝いていた(アナウンサーは仕事でやっている感じがあった)。オリエンタルラジオはこの時からパーフェクトヒューマンの片鱗を見せていたし、夙川アトムが私にウルフルズの『サムライソウル』を教えてくれたのもこの番組だった。
その中で印象に残っているのが、えなりくんがGLAYの『誘惑』を熱唱している姿だった。なんというか、ギャップがすごくって。
私は『渡る世間は鬼ばかり』を観たことがない。そんな私ですら、いや、だからこそと言うべきか、えなりくんは、えなり「さん」ではなく、えなり「くん」なのである。そんなえなりくんがGLAYなのだ。
そしてタイトルである。私にはどうしようもなく、えなりくんがあがいているように見えた。
『渡る世間(以下略)』の子役としてブレイクし、戦場のような現場を幾度となく経験したにも関わらず、『渡る(以下略)』を観たこともないクソ野郎に「くん」付けで呼ばれる一人の役者がなんとか自分の殻、『渡(以下略)』俳優としてのイメージを破ろうとしているように見えた。
だが悲しいかな、それは「あがき」であった。結局今のえなりくんはクイズ番組でばかり目にするタレントみたいな扱いになってしまった。「芸歴ウン10年です」みたいなのが笑いになる人間になってしまった。ベテランなのに「くん」から離れられなくなってしまっているのが、えなりくんである。
翻って。仮にこうなる未来が十中八九来ることを予期していてもなお、GLAYを心の底から歌い上げることにした彼がいたとしたら。
私は基本的に、好きなものを堂々と「好き」と言える世界が好きだ。周りの目や他から見た印象など気にせず愛を叫べる世界が好きだ。
その前提でえなりくんがGLAYを好きだった場合、あの日観た彼はとてつもなくカッコよかったと考えを改めねばと思うのである。記憶が正しければトーナメントで負けていた。そうだったとしてもカッコよかったのである。
そうすると今のえなりくんは、清々しい気持ちでクイズ番組に出ているのかもしれない。堂々と日々を生きた人間は過去を悔やまない。好きな物に好きと言えた日々の積み重ねで人は自分を好きになっていく。そんな過去を経ているかもしれない今のえなりくんは、きっとこう思っているのかもしれない。
「『しょうがない』じゃない、か」
……そうです。終盤、文字を打ちながら「これ」をやりたくて導いていた自分がいます。だって好きなんだもん、言葉が別の意味を持つ感じのやつ。
しょうがないじゃないか。
……こっちは言いたかっただけだ。控えめに言って非常にダサい。蛇足だし。
自分を好きになるのは、もう少し先になりそうだ。