私立アメコミ高校

本当はもっとアメコミのこと喋りたいけどね!

天は人の上に人を作らず牡蠣を作りました

この世の全ての食材の中で一番牡蠣が好きだ。

 

そのグロテスクな見た目から敬遠されがちな牡蠣。そもそも貝類がダメな人が更にダメな貝の筆頭である牡蠣。しこたま痛い目をみて以降、トラウマになって食べられなくなったエピソードをもう人生で10回は聞いた牡蠣。

 

そんな牡蠣のことを愛してやまない。今冬はもう、生牡蠣→焼き牡蠣→蒸し牡蠣→カキフライ→生牡蠣と、過去の人生でも類を見ない頻度で牡蠣を食べている。食事とは幸福を得るための人類の営為であるということを私に教えてくださる存在、それが牡蠣だ。

 

全ての食物連鎖の頂点に我々人類がいる。その更に上に牡蠣がいらっしゃる。私はそう考えています。牡蠣はいつでも我々の行いを静かに見守っておられ、人道に外れた者には罰を、徳を成し人の為に生きた者には幸福をもたらしてくださいます。

 

そのため人は牡蠣を畏れ、敬い、称え、祈ります。その祈りが届くかどうかは……もうお分かりですね?

 

それでは、皆さんの人生に幸せが訪れますように。アーエン。

【総括】ウルトラマンアーク感想 特撮界隈はどんな夢を見たのか?

新しいウルトラマンは「想像力」をテーマにするらしい。それを知った時にまず「なにを今更……?」という疑問と、「思い切ったなァ!」という称賛が同時に心を満たした。

 

地球に現れた混沌の象徴としての怪獣や宇宙人と、それらから人類を守る秩序の象徴としての銀色の巨人。そんな世界で起こるあれこれを、もし毎週テレビで観せることができたなら。そもそもこれが、今我々が享受しているシリーズの出発点である。

 

そしてそれから、数々の変革が起こった。超古代の光の巨人は姿を変えて戦い、悪行の限りを尽くす者が現れ、人語を話す回数は増え、他の者の力を借りて戦うようになり、そして前作では、極端な野性味を持たせるに至った。

 

これらは全てシリーズの裾野、言わば可能性を広げる行為に他ならないと感じている。ニュージェネレーションの筆頭であるウルトラマンゼロが既に15周年。同じ括りに入れられていたとしても、何かを変えなければいけない、そんな機運が高まっていたのだろう。

 

だからこその原点回帰。真正面から「想像力」をテーマに描く。何も間違っていない。疑問は解消された。

 

そして、お出しされたものは「大喜利」に近かったように思う。「そんなのアリかよ!?新しいウルトラマンの意外な戦い方とは?」の回答を出されているようだった。

 

結論、めっちゃ最高だった。バリアを割って鋭利になった部分で怪獣に突き刺す(剣があるのに)とか、光輪とバリアを組み合わせたプロペラで土煙を吹き飛ばすなどは、大喜利に例えを合わせるのなら、ウケる回答だった。

 

これらを実現可能にしたのが、『ブレーザー』より継続して供給されている、新規怪獣達の活躍である。得体の知れない怪獣が、毎度ウルトラマンを追い詰める!さぁ、ここからどう切り抜ける!?……これを毎週やって(やれて)いたのが、ニュージェネレーション以前のウルトラマン達だ。

 

怪獣の手の内が分からないから、あの手この手で倒すのだ。毎度毎度バカ正直に十字に腕組んでビーム撃って、それでアンタは本当に満足するんですかってハナシ。芸はないんか?と思いませんかってハナシ。前作の最終話までそのビーム引っ張りに引っ張ってブチ上がりませんでしたかってェハ・ナ・シ。

 

ウルトラマンが怪獣を倒す」という物語の結果を絶対に変えられようがないのなら、過程で面白くする。だからウルトラマンはバリアを割る。

 

もう一つ。技術で魅せる方法もある。今この時代、リアルのミニチュアを派手にぶっ壊してくれる絵面はウルトラマンでしか得られないものになりつつある(他でやってないとは言ってないよ)。

 

これに関しては今に始まったことではない。ただぶっ壊すのではない。ぶっ壊れ方、その観せ方にとことんこだわる。あれこれ試す。パロディ(空に巨大兵器の姿がうっすら見える)とかではない、『シン・ウルトラマン』を経ての正統な変化を感じる画を沢山観せてくれた。

 

このように、作り手の工夫が、「想像力」をテーマにしたことによって解き放たれ、「大喜利」のようなものになったのだと考えている。何度でも言うが、めっちゃ最高だ。走るのをやめたシリーズに未来は無い。

 

そのことを自覚していたのか、中盤でオニキスをアーマーにするというウルトラCを決めて以降、ややお行儀良く、大喜利でいうところの上手さに感心する回答になってしまっていた戦いが、最終話でウケる回答に帰ってきた。まるで『アーク』の真骨頂はこれじゃい!と言わんばかりに。

 

いや、中盤の展開もアツかった。あの感じも「想像力」の別視点からの捉え方だったから、なんなら王道な感じさえした。だから逆説的に『アーク』の良さ、持ち味は序盤と最終話の戦い、ということになるわけで。

 

いつからビームが直線じゃないといけなくなったんですか。うねらせて横とか縦に曲げてバリア避けちゃダメなんていう法律があるんですか。

 

あなたはウルトラマンの何を知っているんですか。

 

凝り固まった「ウルトラマン観」を、ともすれば子供じみた大喜利で破壊しにきた『ウルトラマンアーク』。語りたいことは山ほどある。登場人物個々のエピソードとか、ユウマとアークの絆とか、枚挙に暇はないけれど、それまでやると終わらなくなるので絞りました。

 

そういえば、と思って振り返ったら『未来へ駆ける円弧(アーク)』が第1話だった。ヤバっ。めっちゃスゴい。こういう円谷プロの真摯さがめっちゃ好き。

 

媚びてないです。皆さんの想像にお任せします。

復帰したけどやっぱりXダルいな

ブログの復帰に伴って、仲良くさせてもらっていた方々と繋がっていたX(辞めた時にはTwitterだった。時の流れ〜)も復帰した。

 

そして思う。X、ダルい。というか、インターネットが合わないんだろう。

 

インターネットでは、皆が本当に言っちゃいけないことは言わないという暗黙の了解のもと、言いたい放題やっている。その上で本当に言っちゃいけないことの中で言ってもよくなったヤバいことを決壊したダムのように放出する時もあり、それに便乗してお気持ちを表明する時がある。誰もそんなの求めてないのに。

 

一応は映画や特撮関連のツイートをよくするアカウントをフォローしているので、エロいこととか政治の極端な話とかはタイムラインに出てこないようにしている。フォローしてリポストやミュートを駆使して自分の好む話題に絞って覗いているはずのSNSがダルい。もうこれはインターネットそのものの本質がダルいと感じているんだろう。

 

顔も名前もよく知らん人が界隈で話題になっている映画やアニメを観て感想を述べている。なぜそんなに皆同じものを観ているんだと思う。そんなに面白いのかと思ったら、なんか自分も観なきゃいけない気がしてくるが、そもそもそんなきっかけで観る作品が人生に入り込む余地がない。

 

多分めちゃくちゃ保守的なんだと思う。自分の人生を豊かにするコンテンツが何かを把握しているし、守備範囲外のものを入れてみるタイミングは少ない。

 

こんな自分がいられる世界がインターネットには無い。オタクがいても、現実には受け入れてもらえない人がいてもいい空間がインターネットだという風に伺ってきたんですが、意外と皆アクティブでしたし、人との繋がりを求めていました。

 

一人でよろしくやりますわ。すんまへん。

やってみた〜い

デジタルデトックス、やってみた〜い。

 

スマホを触りすぎているぅ。今もこうして寝る前のブルーライトはよくないと方々のサイトで情報を仕入れているのに、浴びているぅ。

 

だから、一度試しに、スマホだけでもやめてみた〜い。

 

「やってみた〜い」くらいのテンションでいる今くらいが一番、もどかし〜い。

 

やるのかやらんのか、中途半端でじれった〜い。

 

ブログで表明してしまった以上、やらなかったことを知った時の世間の目は、きっとつめた〜い。

 

それでも家族はあったか〜い。

 

いや、今の言葉は身勝手で配慮がたりな〜い。毒親とかそういうのが、世の中にはゴロゴロいるらしくて世知辛〜い。

 

こういうのも多分よろしくな〜い。自分みたいに割といい家庭に生きてこられた身からはもう、何を言ってもいい風には捉えてもらえなくてやるせな〜い。

 

「捉えてもらえなくて」も結局問題が受け取り手側にあるみたいな言いぐさで腹立たし〜い。

 

配慮のこととか考えると眠れな〜い。ブルーライトとかではなく、社会が快眠を妨げてるみたいでムカつくけど、その情報を仕入れているのはスマホ

 

だから、デジタルデトックス、やってみた〜い。世界の嫌さをもうこれ以上脳のメモリに割きたくな〜い。

雑にアメコミ作品の感想を書く

アメコミ映画やドラマは呼吸と同じなので、世間がどれだけそれらをオワコン扱いしても観ることになっている。

 

ただ以前のような熱量は、ファンだからこそ無い。語れる良さが減り、語らねばならないヘボさが増えた。アメコミ作品を広めるためにブログを始めた身としては、無理をしてでも絶賛しなければならなかったのかもしれないが、別に試写会に呼ばれてもないし金を払っているし何より芝居と芸能界をかじったのでダメなものにはダメと言うのが正しい付き合い方だと感じている。

 

以下、2024年公開作品に絞って感想を書き連ねていく。

 

エコー

なんでこんな人主役のドラマ作るん?と思っていたけど、血生臭いマフィアの世界やネイティブ・アメリカンのルーツが個人的に好みだったのでウキウキで観れた。アクションはもっと多めに欲しい。

 

アクアマン

2作目で弟と共闘して、パッとせん感じが終始続いて、面白いとも面白くないとも言えんとこまでマイティ・ソーのシリーズみたいになった。でもアメコミ映画初体験のお友達は楽しんでくれたので一定ラインの娯楽レベルには達してたっぽい。

 

マダム・ウェブ

近年稀にみるつまんなさ。逆にちょっとスゴいものを観たかもしれない。フェミニズムきゃっほい映画でもなければサスペンスミステリーでもないし。一緒に観たアメコミ映画初体験のお友達、もう一生観らんやろうな。これはおれが悪い。

 

デッドプールウルヴァリン

ディズニー配給になっても手加減をしないデップーの振る舞いにはホッとした。20世紀FOXの遺産へのビッグリスペクトには心躍ったが、こういうのでしか喜べなくなっている自分にも、こういうこと以外の喜ばせ方を忘れてしまった業界にもムカつく。

 

ヴェノム ザ・ラスト・ダンス

熱量MAXだった頃から忌み嫌っていたシリーズなのでやっと終わってくれたな、という気持ち。展開のためだけの新キャラが多く、土地もサンフランシスコから離れ、役者が製作にいっちょ噛みした時のダメなところが全部出ていた。3作観るとこまで我慢してきたが、ハッキリ言う。トム・ハーディはカスだ。

 

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

世間は「ジョーカー」を求めていたが、それを分かっていて敢えて嘲笑うかのように「アーサー・フレック」の映画を作ったな、という印象。いや、前作からそうやったんやけど。観たいものしか観ようとしない、観せられなかった時に作品のせいにするここ最近のバカがバカなりにバカ騒ぎしたとこも含めて製作陣の思う壷だったような気がする。世界一エロくないセックスが観れる。

 

アガサ・オール・アロング

一番良かった作品だった。ドラマである理由、アガサを主役にした理由、諸々の展開に無駄がなく、一人の魔女の物語ではなく、新たなキャラクターの誕生を予感させるMCUらしさが丁度いい塩梅だった。

銀の龍の背に乗って

銀の龍の背に乗ったら、太陽の照り返しが鱗に凄い反射して、前が見れなさそう。

 

夏場に乗ったら鱗がチンチンに熱されていて焼けそう。

 

アフリカ辺りの銀の龍は、そのあまりの熱さに鱗で目玉焼きとかを作られそう。それをSNSにあげられてプチバズりされそう。

 

冬場はめっちゃ静電気に怯えそう。ただ、銀の龍自身が出す鼻息がすげー暖かそう。

 

角を持って乗るのがセオリーだが、振り落とされる心配がないという点を重視するならば、銀の龍の手に乗った方が良さそう。

 

でも、その場合持っていた玉の所在はどうしよう。

 

というか、なんの前触れもなく銀の龍が左右に方向転換するのは危険なので、任意で曲がりたい方の玉が点滅するようにするのはどうか。

 

ヤンキーの乗る銀の龍の角には、白いモフモフがついてそう。

 

髭の根元には、大麻の形したドぎつい匂いする芳香剤がぶら下がっていて、デカい音量で湘南乃風が流れているし、至るところに電飾が施されていて青紫色に光っているが、銀の龍的にはその全てがムカついて仕方ないので、荒っぽい飛び方になる。

 

銀の龍の背から降りてショッピングモールに行く時、空を飛ばしておくべきなのか、とぐろを巻かせておくべきなのか。

 

銀の龍は気位が高いので、維持費も高そう。

 

 

 

ファミリー銀の龍が長年一つの家族に愛されて乗られている。

 

自身が家族に迎え入れられて3年が経った頃、時を同じくして家族の仲間入りを果たした次女との出会いは散々だった。

 

お下がりのチャイルドシートが窮屈だったのか、ぐずりだした彼女は次第にその声を成層圏から地上まで響き渡るのではないかというくらいに大きくした。

 

耳を劈くかのようなその泣き声に思わず身をうねらせた銀の龍。

 

しまった、と思った。ヒトをその背に乗せた銀の龍の禁忌を犯してしまった。その罪悪感を煽るかのように、家族の悲鳴が銀の龍の鼓膜を責め立てた。

 

何かがおかしい。それもそのはず、家族の悲鳴が、なぜか「聞こえている」。不安に思った銀の龍の予感は、不運にも的中した。

 

予想外のうねりに三半規管を狂わされた次女の関心はもはや形の合わないチャイルドシートにはなく、今まさに自らの口から零れ落ちようとしている朝ごはんだった。

 

少女の小さな口に収まるはずもなく、咀嚼された朝食が銀の龍の背に乗っていく___

 

時が経ち、大人になった次女がとあるオスのヒトを実家に連れてくるらしい、とある日の夕方、老夫婦の間で交わされた会話から知った。

 

その時、角を握る父の手が強ばるのを感じた。

 

次女は噂通りオスを連れてきた。緊張でガチガチに固まっていたそれは、銀の龍を見て少しハッとしていた。銀の龍も気になったが、次女に連れられて家の中に入っていった。

 

その日の深夜。父親が若いオスを家から連れ、銀の龍の背に乗せた。

 

「あの……どこへ……」

 

「気にしなさんな。少し、男だけで話がしたかったんだ」

 

銀の龍は、高層ビルの煌びやかな中を泳ぐ。

 

しばらくして、地球と宇宙のちょうど境目のあたりで、父親は静かに語り始めた。

 

「これはね、年寄りのワガママだから、あまり真剣にならず聞いていてほしい。

 

実はね、この銀の龍を君に譲ろうと思っているんだ。

 

私ももう歳だ。人様に迷惑をかける前に返納して、この子の受け取り手を見つけなければいけないと思っていたんだが、今の時代、職場にもなかなか銀の龍の良さを分かってくれる人がいなくてね」

 

「そんな……こんなに綺麗にしてらっしゃるのに」

 

「そう、それすらも分かっていない、額面や博物館のことだけでしか話のできない輩にはこの子は渡したくないのだよ。

 

その時、君がやって来た。私に挨拶するより早く、君はこの子に目を輝かせていたね」

 

「え、と……それは、ですね……申し訳ございませんでした」

 

「なに、悪いと決めつけるのは早いよ。私はね、だからこそ君になら託せると思ったんだ。

 

それにこの子も、あの子が認めた男にならついて行くことだろうさ」

 

「娘さん、ですか……?」

 

「昔ね、ちょうど君が座っている辺りだけども___娘が朝食を吐き出してしまったことがあったんだ。

 

私はこの銀の龍のことを誰よりもよく知っている。だから吐き出したそれが、この子の逆鱗に触れてしまったことにも気づいていた」

 

「……!そんな、まだ逆鱗ガードも付いてない頃の銀の龍なのに」

 

「そう、だから私は、娘が殺される、と思った。しかしそれは私の間違いだった。

 

この銀の龍はね、逆鱗にゲロを落とされたことに怒るどころか、念波で娘をあやしてくれたんだよ。

 

これで分かったろう。この銀の龍は、私と同じくらい娘を大事に想ってくれている。

 

だから君のような、娘を愛してくれる男の元にいさせてやりたいんだ。

 

……さて、繰り返すようで悪いが、あくまでこれは年寄りの戯言だ。

 

娘と、銀の龍を、どうか、よろしくお願いします。」

 

男の問いに、もう一人の男は深々とした礼で返した。全てを聞いていた銀の龍は何も言わず、ただ少しだけ、スピードを緩めた。

 

 

 

 

新しい1日が始まる。鱗に乱反射した朝日が、街に降り注いでいた。

グラビアってなんなんだろう

いい歳した男なので、エッチなビデオ界隈のことはよく調べる。それはもう、今年はポルノ依存症みたいな状況から脱却するぞ!と思っていたのに、いつの間にかサイトを覗いて新着作品の様子を一旦、一旦仕入れておくくらいにはよく調べる(絶対にやめたい。応援してほしい)。

 

そんなことをしていると、グラビア界の新生、鮮烈デビュー!!!みたいな触れ込みでエッチなビデオに出てくる新人さんとかがいる。私は生まれてこの方グラビアアイドルやモデルというものに興味を示したことがなかったのだが、あんまりにも鮮烈なグラビアの人がデビューしたもんでワケが分からなくなった。

 

エッチなビデオは新法の影響によって撮影から発売までめちゃくちゃな期間を空けている(その期間中に女優さんが「やっぱナシで!」できる)らしいので、そこから逆算するとグラビアデビューした時点でビデオの撮影も終わっていたらしい。よりワケがわからない。

 

優劣があるものじゃないが、そんなフィナンシェとマドレーヌみたいな二刀流して何の意味があんねやろ、と素朴な疑問として思う。

 

というか。グラビアの立ち位置ってなんなんだ。ここまで書いてWikipediaに教えを乞うてみた。でまぁ、グラビアで頑張ってる人達には申し訳ないんだが、印象としてはやはり、セックスアピールして知名度アップさせて舞台とかドラマとか出れるようになったら封印する仕事の選び方って感じで書かれていた。

 

もちろん、今でもグラビアやってる熊田曜子とか磯山さやかみたいな人もいるし、役者やタレントとしての能力が認められているのでグラビアする必要が無くなった小池栄子とかMEGUMIみたいな人もいるので、やっぱりネットってダルいなと思う反面、先人たちが道を切り開いた結果がエッチなビデオの売れ行き爆発させるためにお試しみたいな感じで出る、だったとしたら、なんかスゲーいたたまれない。

 

グラビアの人たちにはそれ相応の矜恃があったんじゃないかな、と思う。多分何度もビデオのオファーってあったんだろうけど、そこを頑として拒んだからこそ元気にやれてると思う。その辺を現役のグラビアの人とか、それこそ小池栄子とかに聞いてみたいんだけど、こういうのってやっぱり野暮なのかなぁ。

 

というか、やっぱりグラビアってよく分からん。芝居の実力がないけどおっぱい大きいから、それ売りにしてとりあえず人気になって、そっからいい役もーらお!ってこと?マジなめんなよ?

 

でもそれくらい当時の女性芸能人の立ち位置って低かったんかなぁ。そうするしか生きていくしかなかったんや……!みたいなことなんかなぁ。

 

エッチなビデオ界隈の方面からも言及しなきゃいけないような気がする。幼少期に度肝抜かれたRioとか吉沢明歩とかを始め、エッチな女優さんに憧れてその世界に飛び込むという形が、10年前くらいから増えたように感じる。

 

そこからアイドル顔負けのルックスで無双し、コスメとかランジェリーとか、果ては作家だの映画監督だのを作って儲けられるビジネスモデルがめちゃくちゃできた。でもこの辺はエッチな女優さんに限ったことではないか……

 

とにかく、その上で新法である。もし自分がそういう世界に興味があって戦えるルックスかもしれないと思っているスケベウーマンだったら、ちょっとやってみたいかもしれない(その程度のマインドでは上に登れない業界であることは承知の上で)。

 

とにかく、身体を売るのが稼ぐ選択肢の一つとして根強くあるのがちょっと怖い。どういうパワーが働いて世界はこうなっているんだろう。