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ウルトラマンテオ 第1話「H12から来た男」感想レビュー【UMK_File No.001】

こんにちは!『ウルトラマンテオを守る会(UMK)』会長のワキリントです。

 

先日お知らせした通り、7月4日より放送が開始されました『ウルトラマンテオ』の毎話感想レビューを始めてまいります!

こうしてブログ内で毎話、(ほぼ)リアルタイムな感想を世に投げる、というのは初めてでして、ドキドキとワクワクが入り混じっているような、そんな感覚です。

 

長々と話していてもしゃーない!『ウルトラマンテオ』第1話「H12から来た男」感想レビュー、レッツゴー!

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見逃し配信やってるよ!↓↓↓

- YouTube

明心大学獣医学部に通う光石イブキは、実は宇宙人。
故郷の星を失い、独りで地球にやってきた。
地球の文化に触れながら穏やかな毎日を過ごしていたが、ある日隕石の落下により慌ただしくなる人々の雑踏の中で、イブキの世界がまたしても一変する!(公式サイトより引用)

 

〜★〜★〜やさしいもくじ〜★〜★〜

〜★〜★〜★〜★〜★〜★〜★〜★〜

今回のおさらい その1

前半のドラマパートでは、緑の惑星へと飛来する赤い球体と、惑星の住人らしき生命体の戦いから始まり、 明心大学の獣医学部生として地球人の生活を送る主人公・光石 イブキくんの日常が描かれていました。地球人の常識や文化を知らないせいでコミュニケーションが空回りしていたり、うっかり「地球の文化は不思議だなぁ……」とか言って初手宇宙人バレしかけたりと、愛嬌のあるドジっ子として描写されていました!

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後になって理解できるようにもしてありましたが、察しのいい方はここで既に、滅んでしまった緑の惑星がサブタイトルの「H12(エイチワンツー)」であること、イブキくんがその生き残りであることに気づいたのではないでしょうか?……いやまぁ、まだ確定してはないんやけどね?さすがにね??

自らの故郷であるH12が宇宙の塵と化してしまった決定的瞬間、そこから逃げるように宇宙空間を超スピードで移動していく場面を一人称視点で描くことによって、イブキくんのトラウマが我々視聴者にも共感できるようになっていましたね。

 

と同時に、これからイブキくんが大学生活で交流を深めていくレギュラーメンバーも登場していました。個々の名前は後々にとっておくとして、少ない出番とセリフで「あ、この人は困ってるところを助けてくれて良い人だな」とか、「面倒見は良さそうだけど変わってんな」とか、「オタク気質で合理的に考えそう」とか、「ぼっちで友達できんかった大学生活を思い出させるようなこと言わんでよォ!」などなど、キャラクターの特徴が自然に想像できるようになっていましたね。……なんでそんな憐れみの目で見てるんですか??

 

様々なキャラクターが登場こそすれ、まだまだ交流の浅い状態。賑やかなはずの大学で一人ポツンと佇む寂しげな背中は、まさに「孤独」そのもの。……いや、ホントにウルトラマンの第1話なんか???

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中盤に入り、山中に向かって落ちていった流れ星(と、脳内に飛び込んできた謎のビジョン)が気になって探していると、そこにはこれまた謎の物体が。一目で「宇宙ポッド」と看破する辺り、やはりイブキくんは単なるおバカという訳ではなく、シンプルに地球に馴染みきってはいないだけのようです。

 

茂みの中にいる何者かとコミュニケーションをとろうとした次の瞬間、イブキくんの日常は再び壊れていきます……

 

今回のおさらい その2

市街地のド真ん中に突如飛来した赤い球体、そこから現れたのは、暴悪星獣 ヴィアロガ。初めて見る謎の巨大生物に興味津々の市民たちとは違い、ヴィアロガがH12を滅ぼした凶悪な生物であることを知るイブキくんは「逃げなきゃ……」とトラウマがフラッシュバック……!

 

市民に避難を促すも相手にされないことに戸惑うイブキくんですが、偉いぜイブキくん!普通なら自分だけでも逃げるぜ!?皆を逃がそうとするその優しさ!ウルトラマンやね!!ヴィアロガが街を攻撃し始めてようやく事の重大さを悟り逃げ出す市民たち。そんな中、冒頭でイブキくんが宇宙人であることを一瞬で見抜いて『ウルトラマンテオ』を終わらせかけた少年が、気を失って倒れているではありませんか!飼い犬も心配してる!さらにヴィアロガが少年に気づいてしまい絶体絶命のピンチ!真っ先に少年と犬の元へ駆け寄り、ヴィアロガから身を挺して守ろうとするイブキくん!!!

 

ウルトラマンやね〜〜〜〜!!!!!!

 

これ、気持ちいいんでもう1回みんなで言いましょう。

 

せーの、

 

ウルトラマンやね〜〜〜〜〜!!!!!!!

 

頭より先に身体が気づいてたら動いてました、みたいな。もう根っからのヒーローだよアンタは。好きだ。推せる。

 

とはいえピンチはピンチ、ヴィアロガの火炎放射を喰らい、あわや第1話にして主人公死す!?かと思いきや!炎の中で眩い光が輝いたかと思えば、イブキくんを青い巨人の姿へと変えたのです!

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辛くも勝利をおさめた青い巨人。疲労困憊のイブキくんの運命が大きく動き始め、裏でスーツの男女が立ちのZoom会議(オールイングリッシュ)で「怪獣を巨人が光線で倒した」「巨人が何者かは不明」と何やらコソコソしていたところで、本日の『ウルトラマンテオ』第1話「H12から来た男」は終了!

 

宇宙ポッドに戻ってきたイブキくんと謎の生き物の邂逅も気になるところですが、さて次回はどうなることやら!盛り沢山な1話でしたね!

 

気になるポイント その1

さて、ここからは本編を観て気になるところをピックアップしていきましょう。

 

まずはイブキくんの本来の姿、青い巨人について。

この感想でもあの姿を「ウルトラマン」や「テオ」とは呼ばなかったのは、一旦は本編と合わせておこう、というなんとなくでしかないんですが、これからの活躍によってあの巨人が我々のヒーロー「ウルトラマン」へと成長していく、漠然とそんな物語になる予感がしますね!

そんな雰囲気を踏まえてこの企画ではこれ以降、便宜上「テオ」と呼ぶことにします。多分「テオ」であることはほぼ確定でいいでしょう。回想に出てきた赤い巨人がイブキくんの本来の姿でした、とはならないと思うんでね(笑)

 

本編でも「あの巨人はウルトラマンです」と立ちのZoom会議で言われてはなかったですし、『ウルトラマンテオ』の地球にはこれまでウルトラマンの存在が確認されていなかった、ということなんでしょうね。逆に「怪獣」とは言っていましたから、地球上に棲息する怪獣の脅威みたいなものを人知れず監視している……そんな感じで立ちのZoom会議をしている組織なのかもしれません。

 

……立ちのZoom会議って何?

 

気になるポイント その2

次はテオの戦闘スタイル。おさらいでバッサリカットしたのはここで思う存分話したかったからです。堪忍な。

 

逃げる時の腕や食堂での孤独な背中、燃え盛る母星では顔と、パーツごとにちょい出ししつつ、全体像を焦らしに焦らしてきた上での初お目見え、アガる演出でしたよね!「待ってました!」と唸りました!

そしてその上で「ちょっと待って!落ち着いて……!」と言わんばかりの及び腰から、決意を固めたかのような頼りない握りこぶしでとるファイティングポーズ……これだけで、戦い慣れてない優しさと、それでも守りたい者のために戦える勇気を併せ持った性格が表現されている、テオを象徴するようなポーズでした!!本編で確認して!!!

中の人の身体表現、スゴくない?喋ってないはずなのに、全部の感情が伝わった気がしませんでしたか?好き。推せる。全体的に某個性的なヒーローにも重なるような、「頑張れ!」って感じのヒーローでしたね!

 

少年に構わず突進してくるヴィアロガを何とか行かせまいと踏ん張ったり、埒が明かないと見るや投げ飛ばして空中戦に持ち込んだり、徹頭徹尾、「守りたい者のために戦う」時の選択を取り続けるテオ。初めてなのになかなかできることやないよ。行儀が良すぎる。いいとこの出かしら?あるいは意外と戦いのエキスパートやったりして。周り気にしながら戦えるって相当歴戦のツワモノやんね。これナチュラルにできるのはポテンシャル高すぎ。

 

バリアを張ったり、手から光弾を発射したりする時に身体の色が変わるのがテオの特徴。で、いわゆる「ウルトラマンのお馴染みのポーズ」、手を十字にクロスさせて放つ必殺光線の時は金色でした!派手でいいね!初めて撃ったのか、あまりに右手から出る光線の勢いが強くて、支えとして左手をクロスさせるっていう、「お馴染みのポーズ」にきちんとした理由と意味がある描写も細かくて良かったですね!!

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これらの戦闘パートを盛り上げる、ド派手な特撮のオンパレードはもう……ありがとうございますと、そう言わせてください。CGと実写を同時に駆使し、カメラワークも縦横無尽、グルングルン!目まぐるしく変わる戦況を様々な視点から楽しむ長回し風のバトルは必見です!

 

気になるポイント その3

最後に気になるのはやはり、H12で起こった悲劇の全貌。ヴィアロガに攻撃されていましたが、奴らを送り込んだ母船のような物体もありましたよね?どういうこと?今回なんとかヴィアロガを一体倒しましたが、母船にはアレがわんさか積んであるってことですよね?黒幕、いる感じ??テオはこの先あの規模の侵略から地球を守らなければならないんですか???一人で!?無理ゲーじゃない!?!?

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単なるトラウマとしてイブキくんに影を落とし続ける形になっても面白いですし、徐々に明かされていくH12時代の想い出が上手く地球での交流や戦いに活きていくのも観てみたい。第1話らしく、どう料理されても面白くなりそうな要素として、今後のお話での扱いが楽しみですね。

 

……あ、ウルトラマン初見の方もライト勢の方もめちゃくちゃ気になったと思うんで調べておいたんですけど、ヴィアロガが目覚める前に群がってた野次馬の中にいた「仕事なんだけど〜マジ迷惑〜」おじさんとファンキーすぎるおじいちゃんズ、あの3人は『ウルトラマンテオ』の音楽を担当されているめっちゃ偉い人達でした。ユニット名は「野次馬」。

 

いやまんまかい。

 

すごい人達なのは理解した上で、まんまかい。特撮のジオラマと影絵をミックスしたカッケー映像にバッチリはまるめちゃくちゃオシャレなEDテーマを作った人達なのは十分理解した上で、まんまかい。もしかして今後の野次馬シーンに全部出てきたりする?

 

まとめ

そんなわけで、第1話「H12から来た男」の感想レビューは以上となります!

 

牧歌的な日常、それが怪獣に壊されていく恐怖、絶望を打ち砕くヒーロー。実にウルトラマンシリーズの第1話らしい、教科書みたいなエピソードでした!

そんな中にも、たとえばテオのトラウマであったり、コミュニケーションに思い悩むイブキくんであったり、獣医学部という一般的に馴染みの無い世界の描写であったりと、これまでの作品にはなかった要素を丁寧に、丁寧に取り入れて『ウルトラマンテオ』を作っているなぁ……としみじみ嬉しくなりました。

 

子ども番組であろうとも、おもちゃを売るための販促番組であろうとも、手がけた作品の中にある世界を真摯に描くという、作り手のプライドも垣間見える素敵な1話でした!!……ヤバい、だいぶオタクみたいなことを言ってしまいました!とにかく楽しい!これでいいのだ!!!

 

それではまた次回、第2話「ようこそ天文研究会へ」の感想でお会いしましょう!

 

シュワッチ!!

 

画像引用元URL

https://x.com/ultraman_series/status/2073193841575010623?s=46

https://x.com/ultraman_series/status/2073202712842567853?s=46

https://x.com/ultraman_series/status/2073240805511434254?s=46

【割と高評価】トイ・ストーリー5【ネタバレあり】

役者の卵時代、「子供の頃大切にしていたおもちゃの話をする」という授業があった。私はそこで「テレビ」と答え、講師から「そういうんじゃない」と吐き捨てるように言われた。

 

講師が、この授業が何を求めているかは分かる。芝居にとって重要な、子供のような感性、そのキラキラした気持ちを呼び起こす、“あの頃のおもちゃ“。それが自分の芝居を助けるんだよということを言いたかったのは分かった。頭では理解した。私の心が「テレビ」を否定されたことを許さなかった。

 

卵時代の2年目、再び同じエクササイズでスパークレンス(ウルトラマンティガの変身アイテム)と答えた上で、「でもおれがそれで遊びたい、欲しいと思えたのはテレビで『ティガ』を観ていたからであって、スパークレンスと同じくらい大切なおもちゃは選べないくらいあって、その出会いは全部テレビで、だからそういう想い出を全部詰め込んだおもちゃ箱みたいなもんなんです、おれにとってのテレビは」みたいなことを言った。今度は納得してもらえた。

 

そのテレビで私は、『トイ・ストーリー』をすり切れるほど観た。だからなのかもしれない。私とおもちゃ、私と『トイ・ストーリー』の距離感は、おそらく皆さんのそれとは異なる。

 

壊すかもしれない。失くすかもしれない。飽きるかもしれない。そんなの、おれが居ないところでおもちゃが悲しむ。すまんガオキング(ガオレンジャーのロボ)、おれはアンディほど上手くお前と遊べない。そもそもお前はおれのロボじゃなくてガオレンジャーの精霊王だ。経済的な事情を気にしたとかもあるのだろうが、とにかくおもちゃで遊ぼうと、買ってもらおうと思わないようになった。純粋なんだかひねくれてるんだか、とにかく私は必要以上におもちゃに関わろうとせずに生きた、いや、生きている。結果、毎週のテレビ放送を観て話の素晴らしさだけを味わいまくる「カネにならないファン」になってしまった。

 

『トイ・ストーリー5』や、(おそらく皆さんは引いちゃうかもしれないが)『4』も高評価の部類に入るのは、私のそういったおもちゃとの、あってないような遍歴によるところが大きい。

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引用:https://www.disney.co.jp/movie/toy5/news/20260220_01

 

まずもって大枠は『トイ・ストーリー』と大差ない。既存のおもちゃコミュニティの中で平和に遊んでいた中に入り込んでくる新入りとの摩擦と和解。……ヤバっ、「すり切れるまで観た」とまで豪語できる『トイ・ストーリー』をここまで冷静に表現できる?こういうところマジで不安になる。

 

冷静ついでに構造の話をすると、本作は『3』や『4』より輪をかけて群像劇の色が強かったように思う。過去のトラウマと向き合うジェシー、友達付き合いに悩むボニー、ジェシーを助けようと奔走するバズ、そして星を目指して大移動するハイテク版バズの大群(!?!?)。各々で起こる話がすれ違いを生み、次なる冒険へと誘う。丁寧に交通整理のされた物語だった。

 

割を食ったのはウッディ、そして何よりMr.ポテトヘッド他、ボニーのおもちゃ達だろう。ウッディは『4』で自分のゴールを半ば見つけてしまった部分もあり、コメディリリーフとしての立ち位置で賑やかしに回るような描写ばかりだった。他のおもちゃ達は……まぁ、『4』の暴挙(キャンピングカー無断運転)を受けて出場停止処分を食らったということにしてほしい。群像劇ってどうしても目立たなくなっちゃうキャラってあるので……

となると仕方ない、と納得してしまう。『トイ・ストーリー』の時も実際こんなもんだったし、活躍は観たかったが、今回はその時ではなかった、そういうことにしたい。

 

『5』の目玉であり差別化されている点は、『トイ・ストーリー』でいう新入り、「バズ枠」がデジタルデバイスである、というのは言うまでもないだろう。であれば、「おもちゃ」と「デバイス」が完全分離された存在かというと、そうではない。

 

対立構造になるであろうこと、『4』での流れを考えると「ウッディ枠」がバズかジェシーになるであろうことまでは大方予想がついていたが、いわゆるたまごっちであるとか、そういう「限りなくおもちゃなデバイス」が登場してくるということ、それらも我々の想像している「おもちゃ側」のように子供から使われなくなっていく存在で更にはその消費スピードはおもちゃの比にはならない早さであること、そしてそんな「デバイス側」すらおもちゃに変える無限大の想像力を持っているのが子供だという発想には及ばなかった。

 

『トイ・ストーリー』シリーズはモチーフに真摯というか、いつも一歩踏み込んで攻めた描写をしてくれるのがたまらない。子供の悪質な遊び方、コレクターズアイテムとしての存在意義、幼児の無垢な暴力、特定の持ち主を持たないおもちゃという在り方。ピクサーはこのシリーズを毎回真摯におもちゃにして遊んでいる。きっと考えながらワクワクしているはずだろう。

 

多分それが伝わった。意味不明だったハイテクバズの大群が、おもちゃからデバイスへと境界線を飛び越えた時、「やられた」と思った。完全に盲点だった。もうおもちゃは……そうか……と。拍手をしたし、同じシアターで観ていた男子高校生4人組(微笑ましすぎ)も上映後口々に最高だったと言っていた。すまん。マナー違反しようもんなら威嚇してやろうとか思ったりして。マジでごめん。

 

こうしてストレス(ほぼ)フリーで楽しめた私の『トイ・ストーリー5』だったが、皆さんはいかがだっただろうか?

 

友達作りに思い悩み、両親から善意で与えられたという前提があるにも関わらず、リリーパッドにハマりおもちゃ遊びをしなくなったボニーにヘイトを向ける人がいたとしたら、その人は男子高校生より『トイ・ストーリー5』を観れていない。あなたは何にキレてるんですか?

 

『トイ・ストーリー5』には悪役と呼べるようなキャラクターはほぼいなかった。いたとしてもそれはその場その場でおもちゃへの対応がコロコロ変わるボニーではなく、ダンス教室のクラスメイトの冷笑ではないか?なんかアイツらかくれんぼでも忘れてなかった?どういうつもり?そんなことある??

 

私は羨ましいと思う。冷笑されて揺らいでしまうくらい、おもちゃと密接に遊んで自分の世界を構築したボニーを。その上で自分なりのデバイスとの付き合い方まで学んだのだから、むしろ優勝ではないか?

 

いや待った。私も講師にテレビを揺るがされた。冷笑ではなかったが、確かにあの時揺らいだのだ、私のヒーロー達が沢山詰まった、「おもちゃとしてのテレビ」が。

 

アンディはスゴい。スゴい子供だった。だからこそ、我々は良くてボニーだったんだと悟らねばならない。辛いかもしれないけれど。自分にもいたはずのウッディ、ジェシーを想って、許せなくなっているのかもしれないけれど。

 

あなたはその許せない気持ちを盾にして、デバイスを使って『トイ・ストーリー4』を、幼いボニーを、言葉のナイフで切り刻んでやしないか?こうあるべき、こうしてやりたいとワガママな型に捻じ曲げてやしないか?どちらもいなければ『トイ・ストーリー5』は生まれてすらいなかったのに?

 

そう、あなたが言いたい放題、おもちゃのように使っている言葉は、どんなことでもお見通しなのだよ……

 

だから仲良く遊ぶんだぜ?

【新企画】UMK(『ウルトラマンテオ』を守る会)発足のお知らせ

こんにちは!はじめましての方は、はじめまして!!

『ウルトラマンティガ』と同い年、30歳のワキリントです。

 

早速ですがこの度、『ウルトラマンテオ』を守る会、略してUMK(Ultraman teo wo Mamoru Kai)を発足、その会長に就任しました。現在会員はもちろん私1名のみ。勝手に始めたんで。絶賛会員募集中!!……?なに?めっちゃシラフですけど???

 

突然『ウルトラマンテオ』を守る、と言われてもなんの事やら、という皆様のために、今回はその決意表明も兼ねまして、当ブログ『チョモラマン・スクラップブック』で概要をご説明したいと思います。

〜✿〜✿〜すてきなもくじ〜✿〜✿〜

〜✿〜✿〜✿〜✿〜✿〜✿〜✿〜✿〜

はじめに

皆さん、ウルトラマンって、ご存知ですよね?

 

そうそう、デッカくて、赤と銀色で、胸のカラータイマーが3分たったらピコンピコンで、ビームをビビビー!怪獣がドカーン!!!シュワッチ!!……っていう、あれ。

 

そのウルトラマンって、今もテレビで新しいのが放送され続けてるんですよ!スゴくない??

そんなウルトラマンも、今年でシリーズがなんと60周年!!還暦よ、還暦!スゴくない!?!?

 

そんなアニバーサリーな2026年、7月4日の朝9時から、新しいウルトラマンが放送されます。

何を隠そう、それが……

『ウルトラマンテオ』なのです!

f:id:AmeComiHighschool:20260701174828j:image引用:https://x.com/ultraman_series/status/2044898644470751579?s=46

ポスタービジュアルを見ても分かるように、先程のいわゆる“あの“ウルトラマンのパブリックイメージとは、大きく変わっていますよね?

60年という歴史の積み重ねの中で、様々なウルトラマンが登場し、地球の危機を幾度となく救ってくれました。今年はこのテオが、やってくれることでしょう!楽しみですね!!

どんなことをするの?

さて、話は戻って「『ウルトラマンテオ』を守る会」。まだ始まってもない番組に対し、お前は何をするつもりなのかと疑問に思っているでしょう。

 

結論から申し上げましょう……わたくしワキリント、『ウルトラマンテオ』の各エピソードの感想記事を、当ブログ『チョモラマン・スクラップブック』にて初回から最終話まで全部書いていく、毎話感想レビューを行いたいと思いますッ!思いますッ!ますッ!……

 

わたくし、勝手に会を発足して会長を名乗るくらいですから、ウルトラマンシリーズに対する思い入れというのは、人一倍強いものであると自負しております。マウントをとりたいわけではないんですけど(←ここめっちゃ重要)。

 

何を隠そう今年のぼくというのは、60周年を記念して「ウルトラマンシリーズ全部観る」企画をやっているほどのヒーロー好き。

全話観た上での感想記事や、前作 『ウルトラマンオメガ』や前々作『ウルトラマンアーク』本編を最後まで観た後の総括記事なんかはやってきましたが、毎話感想レビューだけは未体験。

……であれば、『ウルトラマンテオ』に初めてを捧げるというのも、シリーズ60周年の記念になるのでは!?という思いつきです。

 

なるべくオタクオタクしてない文章を心がけて、「初めてウルトラマンを観る」という方、「今のウルトラマンに興味が出てきた」という方に寄り添って、一緒に最終話まで走りきろうぜ!という感じの企画になっていけたら嬉しいな〜と思います。

 

どうぞよしなに!

 

どうしてそんなことするの?

……はい、オタクオタクしてない文章を心がけると言っておきながら、この章ではちょっと突っ込んだ話をしたいと思います。なので、ライト勢の方は興味と時間があったら読んでください。人が何か始める時の理由なんて別になんだってええからね。

 

 

 

……行った?

 

 

 

…………もう大丈夫?

 

 

オケオケ、じゃ始めますかね……

 

あの〜、さぁ……

 

 

 

 

 

株主総会の件なんですけど……

 

 

 

いやまぁ、1次情報といいますか、 公式が発表している質疑応答とか確認したら(ライト勢はこんなことしないでしょ!だから読まなくていいって言ったんだよ!!飛ばすなら今だぜ!?!?)そこまで悪く言ってなくて安心したんですけど、なんか…………

 

『ウルトラマンブレーザー』『アーク』『オメガ』がウケてなくね?みたいな指摘に……

 

公式が「そうすね、失敗でした」とか言ってた、みたいなニュアンスのポストとか見て………………

 

そんな悲しいことが……あってたまるかよ……

ってなって……

 

しかもね、この指摘に対してさ、「制作への反映は来年以降になるッス」って言ってて……

 

じゃあ『ウルトラマンテオ』はさぁ……このままだとさぁ……

 

『ブレーザー』『アーク』『オメガ』の流れを引き継いだ“失敗した“制作体制で作った、「ウケないウルトラ作品」ってことに……なっちゃうってことじゃな

 

そんな悲しいことがよォ!!!!!!!!!!!!!

 

 

あって!!!あってたまるかっっっってぇぇぇのって!!!!!!!!!!!!

 

おれさ、去年「スーパー戦隊シリーズ全部観る」っていうのをやって……『地球戦隊ファイブマン』の出来にいたく感動したんだけれどもさ……ほら……『ファイブマン』ってなんか、視聴率が低迷して、話も迷走して、暗黒期の戦隊みたいな……そんなイメージを植え付けられててさ……実際おれも「『ファイブマン』大丈夫かな〜、つまらんかったらどうしよ〜」とか思ってしまってたし……

 

なにより公式(主に白倉さん)がわりかし『ファイブマン』をサゲる発言をすることが多くて、扱いがヒドいなって全部観た今なら思うわけなんですよね。

 

で件のポストたちなんですけど、やっぱこう、「公式が失敗作って認めた」っていうのはショッキングな分だけ広まってしまって、いつしかそれが「共通認識」ってことになってしまうのが容易な時代に、なっちゃってる気がしませんか?どう?

 

おれ、それと戦いたいんス。

 

公式が「いや、貴方がたが指摘したことも一理あるかもしれないけれども、『ウルトラマンテオ』は違いますよ。見といてください」と言えなかった(株主総会というシチュエーションである以上、真摯に受け止めるべきだったとは思うので公式が悪いとは思ってません。辛かったよな、公式。今度ゆっくり飲もうや。) のなら、『ウルトラマンテオ』という作品に今まさに吹き付けんとしている逆風から、少しでもいい、

 

守ってやりたいんス。

 

だから、『ウルトラマンテオ』を“守る“会なんス。

 

やらせてください。おれ、ウルトラマン、好きなんス。

 

リアルタイムで「いや!『ウルトラマンテオ』って面白かったよ!!!」って言いまくってる記事が、少しでも広がったら、何か違うかもしれないな、って。

 

毎話感想レビューなんてやったことないし、面白いって自分自身が思えるかどうか、正直にズバッと言う今のスタンスと乖離したりしないかどうか、総集編の扱いってどうするか、不安はめちゃくちゃありますけど。

 

誰かがやらねぇとよォ!

 

誰が『ウルトラマンテオ』を守るんだよォ!!!!!!

 

やるぞ!!!!!!!

 

おわりに

と、いうわけで!!!

 

これから毎週、なるべく早く、できれば放送したその日のうちに記事が更新できればな……と思っております。ホヤホヤの方がみんなと楽しめそうやもんね。次のエピソードが放送される前までには仕上げて更新していきたい。

 

なんとなく頼りない感じがするウルトラマンテオ、おそらく「頑張れ!」って感じのウルトラマンになるんじゃないかと、わたくしニラんでおります。それと同じように、この企画にも「頑張れ!」していただけると。

 

とにもかくにも、第1話感想、ぜひお楽しみに!!!よろしくお願いします!!!!!

『ウルトラマン』を観た

2026年、ウルトラマンシリーズは記念すべき60周年のアニバーサリーを迎えました。

 

それを祝い、自らのウルトラ愛を更に強いものにするため、『チョモラマン・スクラップブック』のワキリントがシリーズを全部観て感想を語っていく『ウルトラマンシリーズ全部観る』、本日はその第二回、『ウルトラマン』編でございます。

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『ウルトラマン』は全39話の特撮テレビドラマ。前作『ウルトラQ』で人気を博した怪獣やその摩訶不思議な世界観を継承し、まさに社会現象となった作品です。平成生まれ平成育ち、ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアのTDG世代であるワキリントは、『ウルトラマン』を視聴していく中で、いったい何を感じたのでしょう。

メインタイトル〜ウルトラマンのうた (TVサイズ)

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きたぞ!我らの

昨年はスーパー戦隊シリーズを制覇した。その時にも楽しみな作品というのは定期的に訪れていたが、ウルトラマンシリーズに関してはエピソード単位で楽しみにしているものがある、ということを告白しておかねばなるまい。

 

バルタン星人、ゴモラ、ゼットン……毎話地球に襲来し、人々やウルトラマンを苦しめる魅力的な怪獣たち。つまるところ、ウルトラマンシリーズの面白さというのは怪獣によるところがあまりにも大きい。円谷プロの伝統を重んじる風土が功を奏し『ウルトラマン』に登場している怪獣の多くは、もはやウルトラマンを凌ぐ人気を獲得しているといっても差し支えない。かくいう私も、「おっ!ダダの回きた!!うっひょ~!!!」となるのがこの制覇企画中の常であったし、ここ数年の新作のウルトラマンが続々と新規怪獣を登場させてくれている現状には感謝の意を表してやまない。

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ご存じの通り、ウルトラマンの地球での活動時間は3分と短い。つまりそれまでは怪獣が主人公といっても過言ではない。嘘みたいな尺で怪獣と科学特捜隊のドンパチを流していた回だってあるくらいで、様々な作戦を講じても、人類の攻撃は怪獣たちにとっては致命傷にはなりえない。ピンチの、ピンチの、ピンチの連続。そんな時、ウルトラマンがほしい。幼い頃から知っている、ウルトラマンシリーズの鉄則。人類が限界まで努力して、それでもどうしようもならなくなった絶望を照らすから、ウルトラマンはヒーローに映る。

 

そのお膳立てと片付けるには、あまりにも魅力的な怪獣や宇宙人たちの数々。地底に、海中に、宇宙に。我々が未だ計り知れない場所からやってくる脅威は、浪漫に対する憧憬と超自然的な存在に対する畏怖を同時にもたらす。

 

今でこそスーツアクターなる存在、いわゆる「中の人」、「特撮の嘘」を認識した状態で観るのが常であったり、むしろそこに意識やリスペクトを向けて観賞するのが善であるという風潮があるが、『ウルトラマン』に登場する怪獣には、おそらく中に2人のスーツアクターが入っているであろうペスター、歪な隕石のようなブルトンなど、人が入っているという直感に反したデザインの怪獣が登場している。人為的な介入の香りを消す努力、「特撮の嘘」を真実に見せようとする円谷プロの本気を感じた。

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円谷プロは我々の凝り固まった常識を破壊する怪獣のようなもので、『ウルトラマン』はその口から吐かれた火の玉のようなもの、なのかもしれない。

ブルトンの最期 (M2) [『ウルトラマン』より]

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手にした無力とドラマ性

『ウルトラマン』で初登場するものといえば、まず真っ先に光の巨人・ウルトラマン。そして、その変身者たるハヤタ・シンが所属する科学特捜隊、いわゆる「地球防衛軍」が2番目に挙げられるだろう。

 

『ウルトラQ』では新聞社のカメラマン・お抱え航空会社のパイロット・その助手、この3人が怪獣と我々視聴者たる一般人との接点として、空想と浪漫の世界への案内人となってくれていた。では『ウルトラマン』ではどうか。科学特捜隊の面々が我々に届けたのは、怪獣の魅力的な生態と危険性へのリアクション、だけではなくなっていた。一つの組織に属している仲間意識。そこから生まれる軽妙なやり取り。浮かび上がってくる人間性と信頼関係。ウルトラマンとその身を共有することとなるハヤタ・シンが空気に見えてしまうほどに、科学特捜隊の他のメンバーは魅力的だ。通報を受けて緊急出動するだけでなく、定期的なパトロールや新兵器の開発も怠らない。「地球防衛軍の隊員」のイメージとして60年間我々に植え付けられてきたものが、まさか一作目から既に完成していたとは。

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単に移動手段でしかなかった『ウルトラQ』でのヘリコプターも、ビートルという個性的なフォルムをした戦闘機として、怪獣から市民を守る攻撃の手段として特撮に華を添える。空気力学のことなど頭の片隅にもない、「これが飛んだらカッコいいよな」という浪漫。真面目に科学的な裏付けを取ろうとするのも一つの真摯なモノづくりであるが、それはもう少し後になってからの話。日本における特撮の古典は、ドキドキやワクワクを何よりも優先し、それらを現実に顕現させようと奮闘した大人たちの、空想と浪漫に対する真摯さによって形成されている。

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「地球防衛軍」の創造によって生まれたのはこういった人類側の戦力、為す術なく見守るだけでないアクションが生まれたということ、そして、それらが怪獣たちには意味をなさない無力感だった。

 

『ウルトラマン』における「地球防衛軍」は__というか、ウルトラマンシリーズにおける「人間」とは__誤解を恐れずに言えば「前振り」である。脅威に対して懸命に対処し、怪獣を倒せることはあっても、全てを解決できる力は持っていない。『ウルトラQ』の時点で既にその傾向はあったが、『ウルトラマン』において問題解決能力はウルトラマンのものとなってしまった。力の限りを尽くしてもなお根本的な解決には至れず、巨人と怪獣の戦いを見守ることしかできない自らの立場を嘆く展開も描かれたように、怪獣という「災害」に対して、人間は無力だ。

 

そんな話が、60年も愛されてたまるか。

 

以前の記事で私は、「特撮番組」と「ヒーロー番組」は違う、と言った。『ウルトラQ』には怪獣と一般人が登場するのみで、それ故に「特撮番組」に分類されるのだ、と。そこには純然たるヒーロー・ウルトラマンが登場する前の番組である、ということに対しての敬意、そして『ウルトラマン』がテレビ史上初めての「ヒーロー番組」であるということにしてやりたいという個人的なワガママが含まれていた。であれば、『ウルトラマン』におけるヒーローは、果たしてウルトラマンただ一人だけだったのだろうか?答えは皆さんのご想像の通り「否」である。どれだけ怪獣に翻弄されても、宇宙人にいいように扱われても、時に悩み、苦しみながらも、地球に生きる全ての人々の暮らしを守るために命を懸けて戦う隊員たちの姿は、決して無駄な戦いに挑む哀れな人類の滑稽さとしては描かれていなかった。

 

絶対に諦めない。その選択をとるに至るまでのドラマ性を獲得するための無力感だったのだ。評価の高いエピソードといえば第23話『故郷は地球』(ジャミラ登場回)が挙げられることが多いが、その他第33話『禁じられた言葉』(メフィラス星人登場回)第37話『小さな英雄』(ジェロニモン・ピグモン登場回)など、ウルトラマンが問題解決を行った後、我々人間はどうするべきなのか、といったような道徳・倫理観の揺さぶりをこちらに問題提起する回というのが印象に残る。オタクなら聞きかじったことのあるエピソードであるが故、ようやく観れたことへの感動は、有名なスター怪獣登場回のそれと同等のものがあった。

 

しかしそうでないもの、例えば第14話『真珠貝防衛司令』(フジ隊員主役回)や第36話『射つな!アラシ』(アラシ隊員主役回)のような個人にフォーカスされたものや、第7話『バラージの青い石』、第11話『宇宙から来た暴れん坊』、第15話『恐怖の宇宙線』、第20話『恐怖のルート87』のような一般人、特に子供が重要な役割を担う回も豊富に用意され、エピソードの幅の広さを毎回楽しむことができた。

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人間も怪獣も、極端に言えば ただ生きているだけ である。『ウルトラマン』は「ヒーロー番組」であるが、ウルトラマンとは違う、もう一つのヒーローである科特隊の隊員たちが守る人々が一概に善とは言い切れない人物として描写されるからこそ、「ヒーロー番組」が逃れられない勧善懲悪のテンプレートに変化をもたらすことができている。

 

この人間臭さこそが、シリーズを続けてこられた秘訣なのかもしれない。

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そんなにウルトラマンが好きになったのか

「怪獣退治の専門家」。

 

ウルトラマンの肩書である。

 

こちらと「ウルトラマンは3分しか戦えない」というお馴染みの設定には、齟齬がない。「専門家」であるならば、時間制限があろうと難なく倒せる。そういう理屈で説明が可能だ。しかしどうだろう、「ピンチになると胸のカラータイマーが鳴る」という、こちらも誰もが知っている設定が加わると、矛盾が生じると思ったことはないだろうか?……ないか。ヒーロー番組にそんな真面目に向き合う人なんていないもんね。ごめん。でもこれで続けさせて。

 

要するに『ウルトラマン』を観ていて、私は「3分で戦う」「専門家」のファイトスタイルが、なんかこう……イメージになってしまって非常に申し訳ないのだが……「合気道」だと思っていたのに「めっちゃプロレス」だったことに一番衝撃を受けた。だって「専門家」ですよ????最小限の体重移動だけで攻撃をいなして、的確にダメージを与えつつ軽々と投げ飛ばして、みたいな。別シリーズになってしまってアレですけど『仮面ライダーアギト』におけるアギトみたいな。『仮面ライダーカブト』におけるカブトみたいな。そういうのを想像してたんですよ。そしたらだいぶG3でガタックだったんです。驚くよね?「お前そっちやったんかい」って。

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私の矛盾はつまるところ「合気道」にピンチになるイメージがないからなのだが、早い話「めっちゃプロレス」だったからこそ『ウルトラマン』は人気を獲得したんだと思う。戦いというよりは、取っ組み合い。的確な一撃よりも、がむしゃらな乱打。生まれた頃にはプロレスは歴史上のものになっていて、しかしその熱狂を伝える人々を確かにテレビで目の当たりにしてきた私にとって、ウルトラマンの「専門家」らしからぬ姿はイメージ上の「プロレス」を「めっちゃ」煮詰めたようなものに見えた。

 

古代ローマの時代から現代に至るまで、血沸き肉躍る肉体のぶつかり合いというものを欲する人民の欲求に、様々な形で応えてきた歴史がある。その中でどこからか、「相手の命は奪ってはならない」という人道的なルールが設けられた。その中の一つがプロレスだ。マッチメイクされた相手同士に因縁を作り、ストーリーを作るようになった。より分かりやすく、ヒールという役割を与えるようにもなった。それらが死力を尽くしてぶつかり合い、優勢劣勢を入れ替えながら、ドラマティックに観客を沸かせる。ウルトラマンが怪獣にとどめを刺すこと以外を除けば、『ウルトラマン』におけるウルトラマンの戦闘描写というのは、実にプロレス的ではないだろうか。

 

本物を観たことがないからこそできる限りリスペクトを込めて言うが、先述の通りフィクションの領域に片足を突っ込んでいるプロレスの興行において、「それがどれだけ真に迫っているか」というのを狂気的なまでに突き詰めたからこそ、当時のプロレスは人口に膾炙したのだろう。そしてそれは『ウルトラマン』でもそうだった。元より特撮番組、ミニチュアを壊したり飛ばしたりしている様をどうやって現実の街に見せるかという挑戦の真っただ中であったモノづくりにとっては、プロレスの迫真性は非常に参考になっただろう。コンプライアンスがどうの、ヤラセや八百長がどうのとかで、「リアルであるかどうか」に重点を置いている現代のフィクションとは、似ているようでアプローチが異なる。

 

どこまでいってもフィクションでしかないものに、どう真実味を持たせるか。

 

この終わりのない、いつまで経っても99.999……(果てしない9の羅列)……9点にしかならない100点への挑戦は、何をもって持続可能だろうか。答えは明白、「愛」である。フィクションだからこそ描ける理想、それを実現できると信じてやまない大人たちの浪漫の結晶がこれでもかとぶつけられている、それが『ウルトラマン』だと、私はそう思った。

 

一筋縄ではいかなかった。この結論に至るまで、『ウルトラマン』を2周した。初めてだ、感想を出力し終えるまでになるには再視聴が必要だと感じたのは。序盤も序盤なこの制覇企画、スーパー戦隊シリーズの時のように年内で達成というわけにはいかないかもしれない。

 

望むところだ。私とて終わりのない100%の特撮オタク、「特撮ヒーローの専門家」への挑戦の真っ最中なのだ。元祖の背中を追わないでどうする。

 

それが3分でも、2万年でも、必ずやり遂げてみせる。

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遊星から来た兄弟 勝利 (M5) [『ウルトラマン』より]

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前作『ウルトラQ』の感想はこちらから↓↓↓

amecomihighschool.hatenablog.com

 

画像引用元

https://m-78.jp/news/post-7499

https://x.com/tsuburayaprod/status/1939937736322109694?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/1544154229685698560?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/1946133083843174851?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/1277436653875785729?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/1310414749306290176?s=46

【ネタバレ感想】アギト 超能力戦争

『仮面ライダーアギト』は、不遇な作品である。

 

2001年放送、今年で25周年を迎え、「真アギト展」も絶賛開催中の『仮面ライダーアギト』。この作品、平成ライダー作品第1位の視聴率を記録したとか、後に影響を与える複数人の仮面ライダーを初めて登場させたとかいう革新性の割に、あまりにもオタクの語り草になる頻度が少ない。

 

それは前年の「ヒーローという暴力」をテーマに扱った『仮面ライダークウガ』、後年の「ライダー同士のバトルロワイヤル」という衝撃を与えた『仮面ライダー龍騎』、2つの“超“問題児に挟まれた作品だったからだろう。記録よりも記憶に、という言葉が示す通り、インパクトのあるものを人は好む。3人の青年が関わり合いながら、それぞれが持つ謎や運命を1年かけて絡ませて、人として、ライダーとして「進化」していく様子を描くという試みは、それこそリアルな人間ドラマに狂気的なまでの情熱を注いだ『クウガ』からの「進化」であるし、3人ライダーがウケたから思いきり増やして『龍騎』では更なる「進化」として13人になった上、そいつらを殺し合わせた。

 

フシギソウ、リザード、カメール……「進化」の過程と位置づけられてしまった者の、語りしろの無さ。『仮面ライダーアギト』という作品は、一度休止した仮面ライダーシリーズが『クウガ』にて復活し、今現在に至るまで人気のコンテンツとして走り続ける、そのシステムの実質的な基礎を作り上げた功労者とも呼べる作品であるにも関わらず、我々オタクの熱量が変に上がりきらないせいでパッとしない扱いになってしまっている。

 

『クウガ』25周年記念の「超クウガ展」でも感じたが、『クウガ』が成功したのは、ほぼ奇跡と言ってもいい。台本を何度も何度も何度も何度も作り直すとか、後からシーンを追加したりとか、スポンサーのバンダイに黙ってアメイジングマイティのアンクレットを両足につけるとか、そういった大小様々な部分でのこだわり故に周りにその熱意を強いるモノづくりは、東映にあの狂気を続ける体力は、良くも悪くも無いだろう。一作目だからとにかくやりたいことをやってやろう。その勢いで皆がついてきた奇跡のモノづくりから、定番のモノづくりへ。実現可能性の高いシステムを構築する、それが『仮面ライダーアギト』に関わったスタッフのテーマだっただろう。そういったものを見たくて「真アギト展」に行ったのだが、

 

……まぁ、ちょっと期待しすぎたかもしれない。

 

これだ。アギト、G3、ギルス、3人の主役級ライダーのブースを縦横無尽に見て回れる展覧会のデザインはまさに『仮面ライダーアギト』的であったし、アナザーアギトのことも忘れず、アンノウンのデザイン画のこだわりについての展示は最高だった。だったのに!

 

おれは!!!なんでちょっとパッとしない感想にしてんだって!!!!!!!!

 

悔しい。『仮面ライダーアギト』のことを、「真アギト展」の素晴らしさを言語化できない自分がめちゃくちゃ悔しい。勘弁してくれよ、白倉伸一郎プロデューサー。脚本の井上敏樹のオジキ。アンタらの頑張りを見せつける場で良かったんだよ、おれは。何をしてんだよ、大変だったとかそういうのをくれよ。努力を隠すなって。日本人の美徳かい。平成仮面ライダーシリーズを軌道に乗せたのは間違いなく『仮面ライダーアギト』だった。それをなぜ成せたのか、それを教えてほしかった。

 

こうなったら、『アギト 超能力戦争』を観るしかないじゃないか。

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引用:https://x.com/agito_movie/status/2027217127535694325?s=46

 

多くの人々が超能力に目覚め混沌とした世界を舞台に、特殊な力を持たない警察官・氷川誠を中心に繰り広げられる壮絶な闘いを描く。

半凍死、半焼死という異様な遺体が発見された。それは暴走した超能力者たちによるもので、事件解決のため、警視庁未確認生命体対策特殊武装班「Gユニット」が出動する。(中略) Gユニット管理官の小沢澄子は、この事態を打開するには氷川誠の力が必要だと確信する。しかし氷川は現在、ある罪により刑務所に収監されていた。(映画.comより引用)

 

仮面ライダーシリーズ55周年の映画プロジェクト、「仮面ライダークロニクル」の第1号として封切られた『アギト 超能力戦争』。栄誉ある初代。ここから「進化」していく、記念碑としての『アギト 超能力戦争』は、まぁ、なんというか、変な映画だった。

 

ゥおぉぉい!!!!

 

パッとしない感想言うなし!!!!!!

 

何をもって「変」とするか、あるいは何が原因で「変」だと感じたか……だが、オタクに分かるように言えば「井上敏樹だった」に落ち着く。以下には一般の方でも分かるように書こう。

 

その1、癖の強いキャラクター。

実質的に主役となっている2号ライダー、仮面ライダーG3こと氷川誠。彼は正義感と不屈の闘志で怪人撲滅、世界平和に貢献した好青年だったが、不器用なので箸で豆腐を持てない。

1号ライダー、アギトこと津上翔一。皆の居場所を守るため戦った柔和な性格の持ち主だが、たまに底意地の悪いことをしたりする。ニコニコした顔で。

氷川誠の上司である小沢澄子と、私立探偵となった北条透。2人の舌戦は相も変わらず留まるところを知らない。志は同じだからか、仲はすこぶる悪いのに、息が合っている。小沢さんは相変わらず生ビールのジョッキがメガサイズ。

一番の下っ端であった尾室くんは今や警視正。だがやはり小物だ。肩書きだけがデカくなって、余計にしょうもない。

 

お馴染みの面々ですらこの感じである。新キャラなんて更にすごい。

小沢さん率いるGユニットの女性隊員、葵るり子。子供や老人にも容赦なく暴言を吐き、「死刑」と言いながら駐禁の切符を貼る。主力隊員として新ライダー、G6となる。ゆうちゃみ。

香川くんと杵島くんのG3コンビ。お互いを苗字で呼び合うおかげで名前を覚えられる。多分要潤のバーター。

その他、童謡を聴かせて焼死体と凍死体のハーフ&ハーフを作る元保育士、ピンポンの玉に電撃を纏わせて感電死させる美女、息を止めると時間を止められる多分童貞のスーツ男、宝石目当てに念動力で殺人を犯すドラァグクイーン、などなど。

 

あちらを向いても、こちらを向いても、どこか変。そんなキャラクター達で紡がれていく話が、変にならない訳がなく。『SPEC』に出てきそうな超能力者が起こす変な殺人事件を古畑任三郎がマジメに捜査する(その上変身して戦いもする)、みたいな、よくよく考えたらめっちゃ変なのになんで観てられるんやろう?ということがスクリーンにお出しされる。

 

ね、変でしょ?

 

その2、「進化」と「懐古」。

『仮面ライダーアギト』では、神の使いたる怪人たちが超能力を持った(=進化した)人間を殺していた。『アギト 超能力戦争』では、神を気取った人間の傲慢な振る舞いによって生み出された(救いではある)超能力者たちが罪なき人々を無差別に殺し、急進的な「進化」を促進させていた。これに対し、氷川誠はNOを突きつける。

 

「進化」とは誰かによって為されるものではない。

 

進化する。前に進む。要するに、生きる。そういうものは、自分で成し遂げてこそ、その真価を発揮するのだと。「仮面ライダーになろうとする男」と評されてきた氷川誠を演じた要潤は、仮面ライダークロニクルの第1弾、その主演を任せるにはもってこいのビッグな役者へと進化して『仮面ライダーアギト』の世界に帰ってきてくれた。だからこそ説得力がある。困難を乗り越えて前に進む。その結果が「主演 要潤」なのだから。しかし、どうやら企画のアイデアから関わっていたようだが、幸か不幸か、この自らの原点とも言うべき作品への愛情、懐古する気持ちというのは、「進化」とは相性が悪かったように思う。

 

やるべきではなかった、とは絶対に思っていない。ただ純粋に、変だった。25年の時を経て、あなた方は、その、前に進みたいんですか?それとも、昔を懐かしみたいんですか?という、どちらでもなさにチューニングが合わせきれない、そんなもどかしさ。

 

小沢さんはVRゴーグルを付けて指示を出し、ドローン達が装甲となって氷川誠を仮面ライダーG7に変身させる。25年という時代の変遷を考えれば、あまりにも妥当なメカライダーの「進化」。予告で観た時は興奮したはずなのに。なのになぜ、おれはわざわざGトレーラーに乗り込んで手作業で取り付けないと変身できなかった、あの頃のG3を求めてしまったのだろう。あと普通に、こんなに技術が進歩してるのに、なんで香川くんと杵島くんの乗っているバイクのシーンは合成が嘘みたいにヘタクソだったんだろう。正気か?

 

作り手と、我々。双方の「進化」を欲する気持ちと「懐古」に浸りたい気持ちが絶妙に噛み合いきらない、変な温度差。ガッカリもしてないがアガりきってもいない。なんだこりゃ。

 

その3、初出の設定「アギト因子」。

オタク向けに「井上敏樹だった」と言っているのはこれが大部分を占めている。超能力者が突如として大量に現れだしたことに説明をつけるために現れたコイツが一番変だ。なんかこう……神とか超能力とか、そういうのでやってきた作品にそういう……化学とか医学で説明できちゃえるのが出てきちゃうのって……その……アリ、なんすかねぇ……?

 

アリである。

 

東映特撮の歴史というのは、こういった「変」で「アリじゃない」ものを強引に「アリ」にさせてきた歴史に他ならないからだ。私はこのブログで何回同じ話をすればよいのだろう。きっと、東映特撮がこういう変なことをしだしたその度に言わなければならない。

 

なぜアリになるのか。

 

その方がおもしれーからだ。

 

オタクは思っていただろう。「力を失ったっつっても、結局津上翔一はアギトに変身してくれるんだろうな」と。だから勝ち確、とはさせないのが『仮面ライダーアギト』を令和の世に復活させる意義だろう。

 

『仮面ライダーアギト』の世界において、人が進化するということは、成長するということは、生きるということは、何なのか。それを一番考えて生きてきた「仮面ライダーになろうとする男」=「常に戦い成長してきた男」=「ヒーローである男」にこそ、『アギト 超能力戦争』における戦いの幕引きは相応しい。東映は、井上敏樹は、常に我々の先を行く。たとえ変だと言われようとも。

 

終わったはずの物語に続編を設ける、それ故の歪みが起きてしまっていたことも認めざるを得ない。「進化」を巡る人間同士の争いというテーマにおいて、あれ以上の適任は『仮面ライダーアギト』にはいなかったと思う。批判は当然出るんだろうが、じゃあポッと出のキャラクターにラスボスを任せて、それで満足できたかというとおそらくNOだろう。

 

とかくオタクはめんどくさい。こんだけ文句言っておきながら、ギルスをちゃんと話に組み込んでくれてありがとうとか平気で言う。私はギルスが好きだった。未だにかかと落としでトドメをさすのが好きなくらいにはギルスが好きだった。役者がやらかしたからこういうのも言っちゃいけない気がしてしまっていたが、ちょっともう辛抱たまらん。不遇な作品『仮面ライダーアギト』の、更に不遇な仮面ライダーギルス。「真アギト展」で新造スーツを制作してくれてありがとう。しれっと色々忍ばせてくれてありがとう。

 

変な映画で上等じゃないか。暴れなくてどうする。

 

もっと目立て。『仮面ライダーアギト』はお前らの思ってる数倍、数十倍おもしれー作品だったこと、見せつけてやれ。仮面ライダーだからって子供と来た親もいたぞ。どうしてくれんだ、あんな血いっぱい出して。後悔させてやれ。

 

怒られたら一緒に謝りに行こう。で終わったら、腹いっぱい焼肉を食おう。25年経った。おれ、もう生ビール飲めるよ。

『ウルトラQ』を観た

2026年、ウルトラマンシリーズは記念すべき60周年のアニバーサリーを迎えました。

 

それを祝い、自らのウルトラ愛を更に強いものにするため、『チョモラマン・スクラップブック』のワキリントがシリーズを全部観て感想を語っていく『ウルトラマンシリーズ全部観る』、本日はその第一回、『ウルトラQ』編でございます。

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メインタイトル

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『ウルトラQ』は全27話の特撮テレビドラマ。SF・ミステリー・怪奇ホラーの要素を盛り込み、現代のウルトラマンシリーズにも多大な影響を与えている、記念碑とも呼べる作品です。平成生まれ平成育ち、ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアのいわゆるTDG世代であるワキリントは、『ウルトラQ』を視聴していく中で、いったい何を感じたのでしょう。

 

これからしばらくの間、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入っていくのです。

テーマ1 (「ウルトラQ」メインテーマ)

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贅沢品としての「特撮クラシック」

地中に眠る巨大な怪獣、地球侵略をもくろむ宇宙人、それらによって引き起こされる事件の数々、そしてこれらを3分で解決するヒーロー。それが世間のウルトラマンシリーズに対するイメージだろう。であれば、そのヒーローがいない『ウルトラQ』は、いったいどうするのか。当然の疑問である。

 

結論、解決されないものがある。しかしそういったドラマらしい部分というのは番組の軸__制作陣が我々視聴者に届けたいもの__ではない。現代の感覚では信じられないと思う読者の皆様もいるかもしれない。『ウルトラQ』の軸は紛れもなく「特撮」だ。準備期間1年、製作費は映画並みという規模感で特撮を”テレビで”届ける。これがこの作品の成り立ちなのだ。当然お出しされる特撮映像の数々は、まさに「贅沢」と表現して差し支えない素晴らしい仕上がりだった。まだCGが産声を上げる前だった時代を踏まえた上でこの表現である。

 

目の肥えたオタクになったことはこういった原初の特撮技術に対する向き合い方を捻じ曲げてしまう危険性を孕んでいると常々感じていて、だからこそ私自身が『ウルトラQ』の特撮映像を古臭いとかワイヤーがバレバレだとか言って冷笑するのではなく、あの頃の視聴者と横並びで観ているかの如く興奮でき、リアルタイムの人々に羨ましさすら覚えるほどになったのは安心した。

 

あるいは現代の特撮番組では「特撮」を観られない、という矛盾した渇きが『ウルトラQ』を「贅沢」と呼ばせてしまっているのかもしれない。CGももちろん目を見張る映像を我々に届けてくれている。しかしどういうわけか、それは「特撮」ではないのだ。仮面ライダーやスーパー戦隊を擁する東映の特撮ヒーロー番組は、等身大のヒーローである利点を生かし、アクションやCGの発展と共に進化を続けてきた。対する円谷のウルトラマンシリーズはどうかというと有難いことに、もう一度言おう、マジで有難いことに、変わらず「特撮」の可能性を信じてくれている。その素晴らしさは今後の作品で言及するのを楽しみにしておくとして、『ウルトラQ』ではなぜそこまで特撮に情熱を傾けるのか、その源流を目の当たりにできたという喜びもあった。

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私の知っている特撮と明確に違ったのは、つい先ほどまで登場人物が乗っていたトラックが、漁船が、あっけなく蹂躙されていく容赦の無さだった。おそらく避難が間に合っていないであろうタイミングでいとも簡単に破壊されていく建物を観るのは肝が冷えた。逃げ惑う人々よりも破壊されていく街を長く撮影するあたり、ここにもう人はいませんよ的なノリなのだろうが、「近隣住民の避難完了しました!」「よし!攻撃開始!」のくだりもなくドンパチするところにも、「私たちは戦車で怪獣を爆撃する画が撮りたいんです」というのが前のめりで伝わってきた。フィクション性は高かったが、決して子供騙しには映っていなかった。

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そういやしばらく、架空の街ばっかりよなぁ。

 

噓みたいな時代

いくら特撮を軸にした番組だからといっても、我々視聴者にそれらを信じさせる仲介役として人間は必要不可欠である。『ウルトラQ』にはSF好きのパイロットとおっちょこちょいな助手、そして二人の勤める航空会社のお得意先である新聞社の女性カメラマンの3人がレギュラーとして登場するが、極論この3人と特撮発生装置としての怪奇現象がありさえすれば『ウルトラQ』は成立するといっても過言ではない。

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アメコミ好きでもある私からして、新聞社に所属する人間がいるということ、その推進力にしみじみと感心する。世界初のスーパーヒーローであるスーパーマンもそう、日本におけるアメコミヒーローの代表格であるスパイダーマンもそう。各地で起こる事件を違和感なく登場人物の身の回りで起こすということにおいて、新聞社は抜群の相性である。

 

令和の世になると、こういった事件の発生を知るという描写は専らSNSに取って代わられている。しかし、情報をキャッチするスピードという点では及ばないが、そもそも情報自体に機動力は必要ないのではないだろうか。我々の知る登場人物の目や耳に入り、そこからどうやって動くのか。こちらの方がよっぽど重要である。ウルトラマンシリーズをこれから追いかけていくにあたって、メディアの変遷と物語への推進力いう視点も新たに加わりそうだと感じた。

 

さて、話を戻して『ウルトラQ』ではそれに加えてお抱えの航空会社まで登場する。つまるところ、人間の機動力が段違いだ。第2話で南国の島での取材を終えた女性カメラマンに休む間もなくデケー猿の取材に行かせた描写なんか、その極地である。まだ地球防衛軍のような特殊な組織を空想できなかったのか、あるいはなるべく地に足の着いた導入を目指したのか。「事件発生、出動!」「ラジャー!」をやるにあたって、新聞社はどこよりも適していたのだろう。

 

もう一つ。サラッと流したが、「さっきまで南国で仕事してた社員を別現場に取材に行かせる」というムーブ、現代の仕事のコンプライアンス意識から観るとあまりにもありえなさすぎる。部長が社内で喫煙しているくらいならばなんとなく知っていたのだが、60年前の仕事への取り組み方って「こう」だったんですか???と頭がクラクラしてしまった。

 

新聞社の忙しさの描写だから、では済まされない。第1話で初めてゴメスを目撃する作業員を心配する人間に向かって、現場監督はこう言い放つ。

 

「さぁね、彼はアル中だからね。暗闇の中でライトでも見たってとこだろう?」

 

あ、あああああああああアル中?????

 

なんですと??????????

 

それに対し心配した男も、

 

「フッ……なるほどね」

 

いやなるほどやあるかい。

 

逞しい時代だったのだろう。人手が足りなかった時代だったという訳でもあるまい。ただシンプルに、こういう節々でギョッとするような当時のリアルが差し込まれるところに価値を覚えた。それで言えば、今のSNSで匿名のアカウントたちが言いたい放題意見をぶつけているみたいな、ああいう描写もいつかはありえないものと認識される日が来るのだろうか。

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カネゴンの繭

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特撮きちがいの神様

ヒーローを愛好する私にとって、『ウルトラQ』は「特撮番組」であって「ヒーロー番組」ではない。一般の読者の皆様からすれば、一緒では?と思うのかもしれない。こういうことを言い出すからオタクは煙たがられるのだ……と自らの胸に言葉のナイフを前もって突き立てておいて、一般の読者の皆様には丁重に「まったくちげぇです」とたしなめておく。ごめんね。

 

特撮とは、特殊撮影の略語である。ミニチュアで作った建造物を壊したり燃やしたりするのはいわゆる特撮のイメージそのものであるが、細いピアノ線で飛行機を吊って、空を描いたロール紙を後ろで回転させれば、あたかも遊覧しているように見える。水を張った水槽に色のついた水を流し込み、それを上下逆に撮影することでキノコ雲になる。これらが原初の特撮技術に起きた「発明」であり、その多くが後にウルトラマンシリーズを手掛けることになる円谷英二の手によって生まれた。というか、「特撮」という言葉自体が彼の作ったものだったらしい。やばっ。歴史、面白すぎる。

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後に「特撮の神様」と呼ばれるようになる英二御大のキャリアは、たとえば戦時中の戦意高揚映画であったり、東宝特撮の『ゴジラ』(1954)など多岐に渡るが、これらはあくまで「特撮映画」であって、現代の感覚に照らし合わせてみて「ヒーロー映画」とは呼べないことが、一般の読者の皆様にも理解ができるだろう。当時どれだけ敵兵士を打ち倒す日本軍をヒロイックに描いていたとしても、彼らを「ヒーロー」と形容するのは個人的に拒否したいし、ゴジラは確かに日本が誇る映画スターではあるが、こちらもヒーローのイメージとは異なる。

 

であるからこそ、純然たるヒーロー、ウルトラマンが登場する前の『ウルトラQ』は「特撮番組」でなければならないのだ。

 

先進的すぎるが故に社内からも冷遇されるなど、最初の頃は決して華々しいと言えない生涯であったとしても、円谷英二という男は特撮と心中する道を選んだ。その狂気じみた情熱が形を変えながら脈々と受け継がれ、60年という歴史を刻むに至ったのである。『ウルトラQ』を始めた頃の御大は65歳。まだあの頃の円谷英二よりも若いシリーズと言ってみると、気が遠くなる。

 

まだまだ終わらせるわけにはいかない。神が起こした情熱の炎、私の目が黒いうちに消させてなるものか。

 

ウルトラマンシリーズを制覇する宣言記事はコチラから↓↓↓

 

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https://x.com/tsuburayaprod/status/1883719163035922891?s=46

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https://x.com/tsuburayaprod/status/1067682041796354048?s=46

【ネタバレ感想】ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSブンブンジャー

地上波本編の最終回では、不思議と泣かなかった。

 

その後ひとりで行ったオープニングテーマTVサイズで全部歌うカラオケ(イントロナレーション付き)の時にも、泣かなかった。

 

1年間、この日を迎えることなく終了させられてしまう不安と隣り合わせだった『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』。それがきちんと最終回を迎えられて、しかもそれが「これからも続いていく日常」を描いていたから。だから最終回を観た時の私の気持ちは寂しさよりも楽しさや安心だった。シリーズが終了するだけで、私の日常にもスーパー戦隊が共にいてくれる。そう思えた。

 

と同時に、「泣けなかった」自分がいたことに不安も覚えた。

 

昔からこうだ。卒業シーズンになって皆が「え〜皆と離れ離れになるの寂し〜」と涙目でいる同級生を「それ本気で思っとんのけ?」「今の時代全然連絡とか気軽にとれるやんけ」と素直に共感してやれない、ドライな自分。そんな自分のスタンスが、愛してやまないスーパー戦隊に対しても反映されている恐ろしさ。

 

スーパー戦隊で泣く、という事自体が世間一般の価値観からはズレているのかもしれないが、去年制覇したのでそれは間違っていると胸を張って言える。強いて言うなら、私が嵐の解散を「あら残念やね、おれも『花男』のやつとか好きやったけど」くらいで受け止めているのと同じように、世間と私の間には隔たりがあるのだろう。

 

 

 

 

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSブンブンジャー』(以下、『ゴジュブン』)を観た。

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引用:https://x.com/sentai_official/status/2034758318955405796?s=46

ユニバースナンバーワン怪人・ユニバースノーワンが「ユニバース融合」を発生させ、幾多の並行宇宙が混ざり合いはじめた。(中略)ユニバース融合が進めば世界が崩壊してしまうと知ったゴジュウジャーとブンブンジャーは、ノーワンを倒すべく奔走するが……。

 

並行宇宙が混ざり合うことで邂逅することのできる2つのスーパー戦隊という表現は、スーパー戦隊シリーズの放送枠を受け継いで現在放送中の『超宇宙刑事ギャバンインフィニティ』の要素を違和感なく盛り込んでおり、後発の別シリーズ作品の設定すら我が物顔で扱うスーパー戦隊シリーズの裾野の広さ(≒節操の無さ)を改めて思い知った。

 

この前提によって登場することができた、ボウケンレッド、ゴーカイレッド、ジュウオウイーグルのオリジナル戦士たち。ピンチに陥ったゴジュウジャーとブンブンジャーの面々に、それぞれの戦隊が1年かけて手に入れてきた大切な意志の力を受け継いでいく。

 

予告時点で一触即発になりそうだったゴジュウポーラー(俺様)×ブンブルー(クール)×ブンブラック(2人のケンカを身体張って止めそう)のチームに、この手の映画に出てきたらとりあえず後輩にド派手に攻撃するゴーカイレッドをマッチアップさせ、 ブラックの「ブンブンジャーを守るためにブンブンジャーになった」警察屋らしい発言、ブルーの「真っ白なブラック」発言で『ブンブンジャー』らしさを感じさせてくれたかと思えば「なんか3人とも「しろ」やね」という「これぞ『ゴジュウジャー』」とでも言わんばかりの雑さで連携をとらせたり、

 

まぁ落ち着いて話をしてくれるでしょうという期待通り、ゴジュウティラノ×ゴジュウイーグル×ブンオレンジのチームがボウケンレッドの仕掛けた罠に対し、多少の (87歳と10万27歳の嘘みたいな)年長者マウント合戦はあったものの、「ちょっとした冒険」という発言を聞き逃さないティラノの丁寧さでイーグルがパリピ魂を取り戻し、オレンジの提案した過酷なトラップだらけの道を敢えて選ぶという順当な連携をとるなど、キャラクターの要素や積み上げてきたものをきちんと大切にしている脚本の細やかさは、『ゴジュウジャー』におけるガオレンジャー回やルパパト回を担当した樋口達人さんの手腕によるものだと納得がいった。

 

逆に意外だったというか、己の浅はかさを思い知ったのはゴジュウレオン×ゴジュウユニコーン×ブンピンクのチーム。陽性のノリで和やかに仲良くなるかと想像していたが、ピンチにも関わらずアイドルでいるレオンにピンクが「信じらんない!」とさせた上で、アイドルの自分のまま他人のためにその身を投げ出せるヒーロー性でもってピンクとのわだかまりを解く、という流れには一切の違和感なく予想を遥かに上回られて感服した。それらの一連を「違っていてもどこかで繋がっている」というジュウオウイーグルの包容力で抱きしめる、この心強さ。

 

ユニコーンがいる以上、不祥事での役者交代による脚本の変更は避けられなかっただろう。世界の危機でいっぱいいっぱいのピンクが犬探しをやっていたのも、きっとユニコーンのお節介に流されたからだろう。困っている人を笑顔にしたい、そんな「2人」のヒーロー性でピンクは2人を認めてあげられたかもしれない。『ゴジュウジャー』放送時にも抱いた、あんな事さえ無ければもっと違うものが観れたのだろうか、というないものねだりはやはり付いて回る。

 

おそらくそれはウルフ×レッドの場面にも影響を与えたのだろう。真偽が定かではないから明言もしないが、光と「影」の2つに分かれてしまったウルフの折れた心を甦らせるのは、「影」であることを隠しながら戦い、一度は仲間の元を離れるも、他でもないその仲間から求められ帰ってこれた「あの御方」だったのではないだろうか。終了してしまうスーパー戦隊シリーズ、その最後のVS映画にもし出てもらえていたら、天晴れと、そう東映を労えていたかもしれない。

 

ただ。私は知っている。というか『ゴジュウジャー』を観てきた貴方達なら、知っているはずだ。

 

転んでもただでは起きないのが東映である、と。

 

自らの光の部分に全てを奪われ、抜け殻と化してしまった影のゴジュウウルフを、ブンレッドは見つけ出す。

 

悲鳴もあげていないのに。

 

かつて悲鳴をあげている人がいたのに助けられなかった「少年」が、悲鳴をあげているところに駆けつけたくてブンレッドになり、そして後輩レッドを導く存在として、あまりにも頼もしすぎるカッコいい大人になって帰ってきた、この鮮やかさ。若くして財を成した余裕たっぷりの大富豪、というキャラクターが、今日この『ゴジュブン』でもって完成したと言ってもいい。まったく、『爆上戦隊ブンブンジャー』、爆上という割にじっくりコトコト過ぎる。洗脳解くくらい美味いカレーかい。

 

正直ユニコーンの代役に歴戦の女傑(最大限の感謝とリスペクトを込めてこう呼ばせていただく)志田こはくさん(マジでありがとうございます。マジで)をキャスティングしたことと同じくらいのウルトラCを決めていると思う。多分「あの御方」が出れていたとしたら、ブンレッドはいつものゴジュウウルフに戻ってくれと願う仲間たちの声を届けるだけの存在になっていたかもしれない。

 

かくして王道ヒーローの誰もが成し得なかった境地に達したブンレッドの助けを借りて、ゴジュウウルフは奮起する。世界を1つにして争いを無くすという光のゴジュウウルフの願いは、両者の意志など気にも留めず握手で「はい、仲直り」させる暴力的な事なかれ主義として表現される。決して願いが悪いとは言わない。むしろ素晴らしい。ただ、それじゃいけないのだ。……こういうのはちょっと、極端な解釈をすれば戦争すら肯定してしまっているような気がして凄く嫌なのだが……

 

戦わなければ。

 

戦って、相手を理解しなければ。

 

他でもない自分自身の光と戦って理解したからこそ、願いの無い抜け殻の影を連れて、日常を大切な仲間達と共に戦いながら、向き合いながら生きることを願ったのだ、『ゴジュウジャー』本編のゴジュウウルフは。私もそうでなければ。

 

そこから敵を撃破するに至る一連で、私は泣いた。「泣けた」と言うべきか。意識的にスーパー戦隊の歴史で戦おうとしなかった『ゴジュウジャー』が、アニバーサリー戦隊らしく、シリーズ最後の戦隊らしく、歴史の重圧を打ち倒したからだろう。

 

終わってしまった現実を達観する自分と、終わらせたくない足掻きを続けている自分。ずっと戦っていたのだ、『ギャバン』を観て楽しんでいる自分も。おれはファイナルライブツアーでどうなってしまうんだ。なんか故郷の公演チケット選んだせいで変に文脈が乗ってしまっている。泣きたくない自分がいる。笑顔で見届けたい。本当に終わってしまう事実を真っ正面から受け止められる自信がない。だから今までファイナルライブツアー行こうとしなかったのか。おれ、全部の戦隊でロスしとったんや。うわぁ〜……

 

こんな私を、世間はどう見るのだろう。やっぱり、変、なのだろうか。まぁこっちはこっちで、はぐれ一匹 上等、なのだが。あぁ人間、どこまでいっても難儀な生き物だ。

影を連れて

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