こんにちは!先日50m自由形のタイムを測ったら40秒台でした。どうもワキリントです。
計測前に足のつかない水深で10分間ノンストップ泳がされた挙句30秒間も巻き足(ヒザから下をスクリューのごとく回して浮力を獲得する人類の叡智)をさせられ、疲労困憊の中を「タイム測るよ」なんですよ。久々に死を覚悟しました。
疲れていたとはいえタイムもふるわず、我が肉体の衰えを実感せざるを得ない結果となってしまい、しみじみとこう思ったわけです。
「衰えることなく人気を保った人気映画シリーズ、すげー」って。
強引ですよ。ええそうですよ。なんとでも言ってください。ぼくはこの勢いだけでも失わずに一生を終えたいんだ。止めてくれるな。
この世には人民に幅広く愛され、かつ今でもなおファンを多く持つ人気シリーズが数多く存在します。アメコミ映画、ひいてはMCUなんかが現在ではその一つにあたりますが、ぼくは常々、他のシリーズも人気になったからにはその時代の人民を掴んだ「何か」があったんではなかろうか?と思っておりました。それこそ天文学的な巡り合わせでしょうか。
そして近頃になってようやくその「何か」を探る壮大な旅に出始めたわけです。
今回紹介するのは趣旨にピッタリな「名前は聞いてたけど周りに観てたって人あんまいないシリーズ」でもある『釣りバカ日誌』。世間のイメージと乖離しまくっていたこのシリーズを、本校が誇る教師の方と解き明かしていきたいと思います!
早速ですがみち子さんが途中で浅田美代子さんに変わるのでマルチバースを導入しています。よってアメコミ映画。
それではお呼びいたしましょう!天文学担当のソー先生〜!!
ソー先生
やあみんな、随分と久しぶりだな。「天文学」なんていう扱いづらい科目を任されてしまって、「下手したら出番ねーな」と思っていたから本当に安心してるよ。
ぼっ、ぼくがそんなヘマこくわけないじゃないですか!人間の何倍もの寿命を持つアスガルド人である先生なら、悠久の年月を生きた経験から人気を獲得した秘密もわかるんじゃないかという読みですよ!
ソー先生
あ、やっぱり??
そういうことなら仕方ないですね。ぼくがシリーズ全作通して掴んだ気でいる人気の秘密を紹介していきますから、先生は皆さんと一緒に学んでいきましょう!
ソー先生
あざす。
少しは神としてのプライドを持ってくれ。
★「釣り」はあくまでハマちゃんの目的★
ソー先生
よし、早速始めようか。
君がさっき言っていた中に気になったことがあるんだが、『釣りバカ日誌』に対する世間のイメージと実際はそんなに乖離しているのか?
いやこれが本当なんですよ。タイトルに騙されたというか。いい意味なんですけどね?
観たことある方ならご存知のこととは思いますが、『釣りバカ日誌』って大方の予想に反してちゃんと釣り以外もやるというか、釣りやってる時間が思ってたより少ないんです。
ソー先生
そうなのか!?てっきり映画にすべき全てのシークエンスを投げ打ってでも釣りシーンばっかりして撮っているものかと思っていたな…
それはもう釣り好きのホームビデオやん。
喜劇である本シリーズは「釣りがやりたくて仕方がないハマちゃん・スーさん」「なのになかなか釣りができない」といった所に笑いどころを作っていて、そちらに時間が割かれています。なんなら釣りシークエンスなんてお話が1ミリも進まないし、それこそホームビデオのごとくユルさなのでちょっとどう観たらいいかわからないんですよ。それでもなぜか画面に求心力があるのは、やはり釣りバカコンビの人徳がなせる業といったところでしょうか。
本シリーズの誤解はもう一つあって、お話上の主人公がハマちゃんやスーさんではない、ということなんですよ。
主人公でもないのに画面に居続ける二人。彼らが居ないと始まらない。
ソー先生
そーなのか!?めちゃくちゃ表立ってパッケージにもなってるじゃないか!
もしかして「そーなのか!?」ギャグでやってる??
シリーズ初期の2・3本は釣りバカコンビやハマちゃんの愛妻・みち子さんの関係性を深めていく人情物のテイストが強いのですが、続いていくにつれ彼らにお話がフォーカスすることはなくなり、作品ごとに登場するゲストキャラクターの取り巻きと化していくんです。
ソー先生
つまり彼らは主人公としてではなく、狂言回しとしての性質を持ったキャラクターなのか…あくまで名脇役の枠を外れない、と。
その通り!多分このシリーズのコメディテイストっていうのは、そんな釣りバカコンビのてんやわんやに担保されてるんでしょうね。ゲストキャラクターが自身の行く末にあーだこーだと悩ませているときにハマちゃんなんてイカれたことに巻き込まれまくってますからね。「お前ら何やってんの?」っていう。
ソー先生
なんだその興味しかそそらない発言は?イカれたこと?
そーなんですよ。あ!!言ってしもうた!!くそッッッ!!
食いつかれたのなら仕方ない。自身が釣り好きすぎてイカれてしまったハマちゃんのイカれた事件簿を何個かご紹介しましょう。
・左遷先で丹精込めて育てたスッポンを死なせてしまい精神が壊れ、本社復帰させてもらえる
・釣りに行きたすぎて有給休暇は使い切るのが当たり前。親族もほぼ死なせてウソの忌引も平気でやる
・釣り中に遭難。ヤバいキノコを食べて鬼の幻覚を見る
・釣り中に嵐に見舞われ絶海の孤島に漂流。朦朧としおっさんをみち子さんと見間違えてキス
・釣り仲間とドンチャン騒ぎをした結果、朝起きたら米軍の軍艦。国際問題になりかける
・息子の授業参観で魚のことを話していたクラスで熱弁するも違うクラスだった
・知り合いの結婚式の礼服の下に釣りウェア着てる
ソー先生
やっっっっっっっっっっっっっっばぁ。
ジャパニーズクレイジーフィッシャーマン・浜崎伝助。
★日本人は「予定調和」が好きなのではないかという仮説★
ふむ、「予定調和」?よく聞く言葉ではあるが、どう言った意味なんだ?
調べてみたら本当は哲学的な意味合いを持っているそうですが、日本では映画に限らず幅広い分野で人々の予想通りに事態が動き、結果も予想通りであることを「予定調和」と言うそうです。首相のコロナ会見みたいなことですね。
ソー先生
あぁあぁ怖いこと言ってるぅ。
アメコミ映画でもヒーローが悩みながらも戦い、敵を倒す展開のことを揶揄して言うことがあるな。
良いように言うと「お約束」なんですけどぼくはこっちの方が好きです。「待ってました!」となるシーンが何個かないとシリーズって成り立たないと思うんですよね。
『釣りバカ日誌』でも数々の「お約束」がございまして、逆にないと「あれ?今回アレなかったな…」と物足りない気になっちゃうんですよね。揶揄される際に使われてしまう「予定調和」ですが、ないならないで締まらない。
お約束その①:スーさんの出勤途中、車内での会話。
ソー先生
何作も続けて同じことをやっているからこそ、画を弛緩させないようにしなければならないからな。
そうなんですよ!今シリーズの「お約束」はカメラ一つで捉える会話パートが多いのですが、それだけなのに何分も観れるパートになっているんですね。西田敏行さんをはじめとした役者さんのアドリブなど、技術が光るパートになっているから観れちゃうんです。
お約束その②:社長室での重役のやりとり。
ソー先生
日本で予定調和の代表といえば『サザエさん』だが、何十年も続く「国民的アニメ」でもある。
国民がタイトルだけは知っている「日本の人気映画シリーズ」である『釣りバカ日誌』も予定調和をふんだんに盛り込んだ作品だと知ると、もしかして日本人は予定調和が好きなんじゃないかという気になってくるな。
お決まりのシーンがあると安心感を抱きましたし、その仮説は今のところ正解なんでしょうか。今年は『男はつらいよ』シリーズ制覇に向けて動き出すつもりなので、経過観察をしていきましょう。
ソー先生
一つ気になってるんだが、『釣りバカ』『男はつらいよ』を終えてしまったら日本の人気シリーズってなくなってしまうんじゃないか?あまり思いついてないんだが…
バレました??どうなるかは分かんないですけどコナンとかクレヨンしんちゃんとかやってこうかなと思ってます。
ソー先生
アニメという手があったか。クールジャパンじゃん。
★『釣りバカ日誌』は「憧れ」の映画だった★
さて、そろそろ終わりに近づいてきたこの授業ですが、このシリーズの本質についてようやく触れていきたいと思います。
大手建設会社に勤め、上司から散々咎められながらも「釣り>仕事」を崩すことなくクレイジーなまでにフィッシングライフを楽しむハマちゃん。
そんなハマちゃんが勤めている会社のワンマン社長でありながら、社員を決して見捨てず利益を顧みない企業人の鑑・スーさん。
そしてそんな二人を愛情を持って見守る、みち子さんをはじめとしたキャラクター達。
思えばこの映画は、「現代日本のサラリーマンの憧れ」を表した作品だったんではないかと思います。「こんな働き方で楽して給料貰えたらな」「こんな社員思いの社長ならな」「こんなに趣味に理解のある家庭ならな」…映画だからこそ実現できている世界ではありますが、「釣り」という実に平凡なレジャーによって画面に親しみや「ありそう感」が生まれ、日常に溶け込んでいきます。今シリーズが愛されているのはそんなところにあるのではないでしょうか。
設備点検の人になって社内の実情を探るスーさん。これは現実じゃねぇ。
ソー先生
シリーズ中盤でバブルが弾け、リストラやリゾート建設反対など、建設会社には致命的な題材をテーマに扱ってもなお陽性の性格を保ち続けたことも社会人にとっては心休まる世界を描いた、実に「映画」たりうるものだったのかもしれないな。
その神話が崩れるのが最終作『釣りバカ日誌 ファイナル』です。
舞台は北海道。ここには釣り人なら誰もが憧れる幻の魚「イトウ」が生息しており、もちろん釣り上げることを夢見て竿を振るハマちゃんですが、「イトウが釣れるんならおれ、死んでもいいなぁ〜!!」なんて冗談を飛ばす彼に対して、現地のガイドはこう言います。
「じゃあ、死んでくれ」と。
ソー先生
釣り人の憧れであるイトウはその人気故に個体数が著しく減少。現地の団体による必死の努力によってかろうじて保たれているのだ、それをただ「憧れ」だけで釣りたいというのであれば死んでくれ、ということか。
いつの時代もサラリーマンの憧れであった『釣りバカ日誌』から突きつけられる、「憧れなど捨てろ、さもなければ死ね」という非情な言葉。クライマックスの「鈴木建設は永久に不滅です!」の言葉を持ってしてもなお、この喪失感だけは拭いようのないものがあります。
ソー先生
ほろ苦いフィナーレを迎えた『釣りバカ日誌』だったが、いい裏切りなのかもしれないな。釣りしかやらないホームビデオ映画かと思っていた人は背中からカジキの鼻で刺されるな。
そういうの、もう一個あるんですよ。それが『釣りバカ日誌15』なんですけど、小津安二郎生誕100周年を意識したバリバリの小津オマージュのつるべ打ちだったことに調べてから気づきました。いやはや、無知というのは喜びが減って悲しいですね。
ソー先生
「釣りバカってそんなことできるの!?」っていうやつだな。時間も107分とコンパクトにまとまっていて、日本の本気を見た気がする。
その前の『14』はめちゃくちゃ長かったんですけどね。
ソー先生
そーなの!?!?!?!?!?!?
もういいよ。