ソー先生
Zzz...Zzz...はっ!!夢か……
ん?や、、やぁ、君たちか。久しぶりだな……私か?いやまぁ見ての通り夢を見ていたよ。すごく幸せな夢だった。……大切な人に逢いたくなったよ。少しだけ。本当に少しだけ、な……
おーい……
おーい……
ソー先生
ん??なんだ??
おーーーい!!
ソー先生
んん?あれは…ワキリント君じゃないか!?どうしてこんな所へ!
どーしたもこーしたもねェよ!お前さんが心配で心配で、おれァいてもたってもいられなくなっちまってよォ!追いかけてきちまったよ!ガハハハハハハ!!!
ソー先生
ワキ君……『男はつらいよ』観てたんだな……
ン何言ってんだぃ!途中で辞めちまうようなことじゃねェだろう?
ソー先生
それにしても帰ってきてくれないと、この授業がいつまで経っても始められないからな。観てない可能性も考えられちゃうんだぞ。
……まぁまぁ!会って早々説教なんか垂れんなって!早速始めちまおうや!
『男はつらいよ』シリーズの授業をよォ!
ソー先生
今回は11作目から20作目を観てきたぞ。ファンにはお馴染みのキャラクターが登場だ。ワキ君の反応も気になるところだな。
★怒濤の10作連続レビュー★
十一作目 寅次郎忘れな草
おもちゃのピアノを買っちゃうやつ。
タコ社長のノンデリカシー発言タイムアタック更新したね。もうマドンナに振られたらという前振りもなくなったのでいよいよ緊張感が高まってまいりました。
今回のマドンナは寅さんと同じくフーテンというのも面白いですね。十作という大台を越え、新たな十作に向けて避けては通れない題材なのかもしれません。泡のような人生というのも共有していたけれども、最終的にマドンナは寿司屋の奥さんになりました。「自分の人生を決められる」というさくらさんの予想通り、寅さんとは似ているようで違う、いや、似ているからこそ違いの際立つキャラクターでございました。
十二作目 私の寅さん
とらや一家が旅に出て、寅さんがお留守番をするやつ。
自分が長いこと連絡もよこさず旅に出てばかりなのを棚に上げてすんごい心配する寅さんは可笑しいねぇ。いつ帰るとも言わないから理想の出迎えもされるわけないしいつも間の悪い感じになっちゃうのよ。
十三作目 寅次郎恋やつれ
吉永小百合が再登場するやつ。
絹代さん(敏子さん?)のときも、今回の吉永小百合扮する歌子さんのときもそうですが、寅さんは本当に苦労している女性にとことん何かしてあげたくなる、何かせずにはいられない人なんですよね。それが惚れているが故のものではあるんだけれども、これの見返りに恋仲になろうという邪心が微塵もないのがこの男の素晴らしいところです。しかし裏を返せば自己満足に陥っている可能性も残されていて、今回さくらさんがそこに言及してくれていました。多少寅さんも暴走気味やったしね。
十四作目 寅次郎子守唄
赤ん坊を押し付けられるやつ。
チビッ子には滅法好かれるし扱いも上手い寅さんですが、赤ん坊はどうやら苦手みたいですね。お節介が過ぎると言わんばかりに世話を焼く寅さんも、言葉の通じない赤ん坊には手も足も出ない、というよりは、何をしたらいいのか分かんねぇといったところでしょうか。柴又に連れて帰ってからはおばちゃんやさくらさんに任せっきりだったし、厄介事を押し付けたくらいに思われても仕方ないっすね。どちらにせよ、この良い人とやな人のバランスが絶妙です。
十五作目 寅次郎相合傘
おっさんと連れ立って旅するやつ。
会社でミスもせず、女関係で泣かせることもなく、真面目に生きてきた小心者のおっさんが求めるのが自由ですか。カーッ!ベタやね〜!!そんなおっさんに呆れ顔の寅さんもいいよね。誰がどう見ても自由な寅さんだからこそ、自由すぎるが故の退屈さを知っている。自由に羽ばたく鳥の辛さを知っている。思っているほど自由は永遠に楽しいものではないことを暗に示したエピソードですよね。
十六作目 葛飾立志篇
女子高生のあしながおじさんになってたやつ。
こういうことをドヤ顔もせず、誰にも言わずにやってのける男だから憎めないんでございます!どうやら惚れていたからというわけでもなさそうですし、旅先で苦労している人にはこんな感じで人知れず心ばかりの手助けをしているんでしょう。
十七作目 寅次郎夕焼け小焼け
すげー画家のおじいさんを世話するやつ。
あんだけ図々しい態度をとられて、寅さんとは違ってムキー!となるような叔父叔母、愛やね。とうとう小学校に入学した満男も「やめろー!」と寅さんの喧嘩を止めようとするくらい自我が芽生えています。お前はどう成長するんだ。早く育てよ。寅さんの悲しい決意も明らかになりましたよね。彼だってトラブルを作りたくて作ってるわけじゃない。今度こそは仲良くずっと暮らしていけるように、それを願って毎度とらやへ帰ってくるんですよね。悲痛な感じが出ていてすごくよかった。おれも担任には文句言ってやりてぇな!
十八作目 葛飾純情詩集
無銭飲食するやつ。
また見栄を張って周りに迷惑をかける寅さんの悪い癖が出てました。警察の人達にまで慕われるのはさすがの人たらしといったところかもしれんけど。
十九作目 寅次郎と殿様
鯉のぼりを買ってくるやつ。
ずーっと思ってましたけど、タイミングが良すぎるし悪すぎるんですよね。絶対来てほしくないタイミングで寅さんは帰ってくるし、鯉のぼりを買ってくる。おもちゃやし。アレ、正直に言ってたらどうしたんやろうね。それはそれで怒りそうなのが寅さんなのよ。まぁでも、犬にトラって名前つけたのを怒るのは分からんでもない。
二十作目 寅次郎頑張れ!
二階が大爆発するやつ。
金かかっとんねぇ。記念やから奮発したよねぇ。画変わりもできていいよねぇ。こういうことがないとさすがに飽きが来る作品数になってきました。と思ったら前のとほぼ同じのに建て直しただけやったけど。
中村雅俊と大竹しのぶとか、ようやく役者やっとるとこ観たことないレジェンド役者が出てくるようになりました。どうなるんやろう。ここから先はもっともっと知っとる人出てくるんかなぁ。美男美女で華がすごいねぇ。どちらも初々しさが残っている感じがしました。
ソー先生
うーん、授業が遅くなってしまったのも頷けるボリュームだな。続いてこの10作品の観賞体験を踏まえて、ワキ君がどう感じたかを聞いていこうか。
おうよ!任せときな!
ソー先生
会話になったらべらんめぇするの、なんで??
★寅ちゃん、寅、義兄さん★
さて、この10作で感じたことの一つ目は、妹のさくらさんを除いたとらやの家族への深掘りがバランス良く配置されていた点です。
ソー先生
ほう、前の授業ではおばさんがステレオタイプな昭和の女性になっていることに苦言を呈していたけれど、どうなっていた?
ちょいちょい寅さんを思い込みの激しい人、想像が飛躍しすぎるきらいがある人だと感じていましたが、その片鱗をおばちゃんから感じられて、うまいこと繋がりを見せてきたな〜と思いました。“血”なんだな、っていう。
ソー先生
ヒステリックとはまた違う、アタフタする様子がお茶目で活き活きとしたキャラクターが付与されているような印象だな。
夫婦での描写で言うと、子供ができなかったことが明かされました。寅さんがなんだかんだ喧嘩で家出しながらも帰ってきたり、さくらさんが真っ直ぐ育ったりした理由が分かった気がする。
ソー先生
『寅次郎子守唄』にて赤ん坊が引き取られることになった際、寅さんは下手したらマドンナに会う口実がなくなったくらいのダメージかもしれないけれど、おばさんのヘコみようは只事じゃなかったもんなぁ。
爆裂粗い画像ですけれど、おばちゃんの包容力が見えるとこですよね。
晩酌シーンでの扱いは相変わらずでしたが、ここ数作で深みがグッと増しています。悲しむおばちゃんを心配する満男もすごく良かった。いい男になれ。
おじちゃんはパチンコ通いに言及するシーンがありました。こういうディテールは要らん。
ソー先生
そんな満男くんに、やや重めの感情を向けているのが寅さんの義理の弟、博さんだ……ちょっと心配だよな??
いやもうホントにそれ。『葛飾純情詩集』での家庭訪問でのトラブルで遂に博さんがキレたんですよ。ここまでよくぞ我慢したよあんたはさぁ。タコ社長は己の心血を注いだ工場をコケにされて泣くほど悔しがっていましたが、博さんにとっては満男くんこそが逆鱗なんでしょう。
ソー先生
毎日油まみれになりながら、それでも厳しい生活を送ることしかできない博さんからすれば、コンプレックスを払拭するための夢の塊なんだよな。満男くんにとっちゃあそういうのプレッシャーなんでどうかとは思うけれど。これが後々の諏訪家に暗い影を落としそうだ。
とはいえ、これまで小難しい話題になった時の解説役でしかなかった博さんにも、ドラマを突き動かせるだけのパワーが備わりました。楽しみですね!
ソー先生
こうなってくると幸せになってほしいものだが、寅さんはそう思ってはなさそうなんだよな。
そうなんですよ!『寅次郎頑張れ!』冒頭の夢のシーンでは、事業に成功したタコ社長をはじめとして、豪華な暮らしを謳歌するとらやの面々に寅さんが出会います。これがねぇ、寅さんからすると悪夢なんですよね。
ソー先生
ワキ君的にも寅さんの気持ちが分かるそうだな?
そうなんですよ。故郷とか、実家とか、なんかどっかでずっと変わんないって思ってるものってあるじゃないですか。あれが変わるってねぇ、結構クッってなるんですよ。あっやべ、みたいな。寅さんみたいな変わらない人間なら尚更でしょうね。
ソー先生
これまで苦しむさくらさんを寅さんが助ける、みたいな夢が多かったのは、「おれが変わって奴らを幸せにしてやりたい」という気持ちの表れ。しかし勝手に幸せになってしまう彼らを見ると、自分だけが取り残された気分になるって寸法か。なるほどこれは悪夢だよ。
★山田洋次の「地肩」★
ソー先生
おっ、この見出しということはワキ君!このシリーズに「映画」を感じたってことかい!?
その通り!ショットだのカットだのはよく分かんないですし、未だに「お話」で観てしまうワタクシですが、それでもピクッ!とアンテナが反応するくらいには鍛えているつもりです。
紹介したいのは『寅次郎夕焼け小焼け』にて、画家先生とおそらく恋仲であったであろう女性とのやりとり。
ソー先生
ふむ……窓際に座って外を見る先生と、奥に座る女性。前景には花か…そして襖というかなんというか、それらを枠に納める戸。視線を交えることなく、しかしどこか奥底のところで繋がっているかのような品がある。ここに気づけるようになったのは、マジで成長なんじゃないか?
この辺のシーンです。さすがにピンポイントではなかったか……!
ありがとうございます!今作は後半でミナミの帝王みたいな展開になるのも含め、今回のお気に入りでした!
ソー先生
山田洋次監督といえば今作のような家族の悲喜交々を描く人で、「映画」を撮れているかというとやや疑問なんだが、その確かな地肩が発揮されたショット(?)なのかな。所々で差し込まれる自然の風景なんかは、当時の雰囲気も込みで美しいなと思いながら観れるよな。
印刷所や2階に人が引っ込んでは出てきて、話をややこしくしていく様は交通整理の為せる業ですよね。よく分かんないからアレですが、こういうピクッ!には今後も敏感に反応していきたいです。
★最終兵器を今出しちゃう狂気★
ソー先生
よし、そろそろ終わるとするか!今回も大ボリュームだったなぁワキ君!十作振り返ってみてどうだ?
なんといっても十一作目のリリーさんの登場、これに尽きます。シリーズを終わらせかねませんよ、この人。
ソー先生
確かに、リリーさんは歴代のマドンナの中でも寅さんとの幸せな生活に最も近い…いや、「車 寅次郎」という存在と共に生きることへの耐性が一番高いんだよな。どちらも気ままな暮らしから離れられない性分で、癇癪にも似た屁理屈に物怖じしないどころか、言い返して黙らせたりもできる。
車寅次郎という、成長の見込めないキャラクターをそのまんま愛せてしまう彼女の存在は、作り手が「寅さんを幸せにしてあげたい」と願った時のショートカットだ。
二人共渡り鳥だからこそ、共に長くはいられないのです。
メタ的にも、伏線回収はシリーズ終了の予兆だ、という前回のお話に当てはめるとリリーさんは特大の伏線なんですよね。伏線というよりはどうしても気になっちゃう人かな。
他のマドンナに恋焦がれている時も、こちらはリリーさんの影がチラつく。吉永小百合を再登場させることでリリーさんも有り得る!と予感させるのもニクい。ビジネスの上手さが出ています。
ソー先生
どんな創作物においても、主人公とされるキャラクターの成長や心からの目標が達成された時がシリーズの終わりなわけで、たとえば釣りバカ日誌は幻の魚イトウを釣らせるという形で引導を渡した思うんだが、このシリーズでいうと、寅さんが幸せになることや、とらやの家族への依存からの脱却がこれにあたるな。
いかんせん20作という数を重ねても彼に増えるのは失恋の痛みだけです。そこから何かを学ぶことは、おそらくしない。というかする必要が無い。なぜなら彼は嫌われてないから。慕われたまま、ただのっぴきならない事情でフラれたり自ら身を引いたりするんです。
ソー先生
そうした絶妙な展開であの男が変わるはずもなく…そんな寅さんの究極の理解者であるが故にシリーズにとっての究極の舞台装置として機能するリリーさんは、お決まりのパターンに変化を与えるキャラクターだな。
「今度こそ行けんちゃうん!?」っていうね。そんな爆弾を割と序盤で出してくるの、こんなに長く続くって思ってなかったとしてもイカついですよ。
ソー先生
これからのシリーズを観る勢いもつくってもんだな!
授業やる度に毎回楽しみになるんですよねぇこのシリーズ。行ってきまーす!!
ソー先生
えっ?あ、あぁぁぁ……行ってしまったな。今度はどこへ行くんだろう。暖かいところだろうな。いずれにせよ、また元気な姿で会えることを祈ろうじゃないか。ではまた!