【テスト㉑-B】ジョーカー大復習!!
こんにちは!ぶっちゃけ台風の爪痕が癒せてなくて記事の更新どころじゃないワキリントです。
別に避難生活したとかじゃないんですけどなぜかスネが筋肉痛になりましてね。歩くたびに痛みが走るわけです。それに耐えながら記事書いてるんですよ今。痛いの足だけど。最後の指一本になるまでぼくは更新をやめない。皆さんもぜひついてきてください。
そんなわけで今回は今年の映画界に癒すことのできない爪痕を残しそうなテスト『ジョーカー』を復習していきたいと思います。
こいつぁ要注意ですよ。
★さっさと終わらせたいあらすじとキャラクター★
今回はなんとなく長くなりそうな予感がしているのでこの章は早めに終わらせたいと思ってます。許してちょんまげ。
予習でもお伝えした通り主人公はこちらのアーサー・フレックさん。ピエロの格好で大道芸人として働きながら、コメディアンとして大成することを夢見る中年男性です。
ところが彼には深刻な問題がありました。それは脳に障害があり、変なタイミングで発作的に笑ってしまうこととユーモアのセンスが人とズレていること。後者の致命傷具合といったらたまりません。大衆にハマるツボを押さえてこそのコメディアンなのに。
更に彼のいる場所がゴッサム・シティだから大変です。街中ゴミだらけで鬱々とした空気が漂い、貧困層に救いの手が差し伸べられる様子もありません。
そんな中で希望はあるとアーサーさんに説くのが母のペニーさん。なんでも彼女は大昔に大富豪トーマス・ウェインさんのお屋敷で働いた経験があるようで、その縁を頼りにすればきっと今の人生は明るくなると信じているのです。
彼女がしたためる手紙の返事が届くのを待つ毎日を送っていたアーサーさんでしたが、ひょんなことから一躍テレビでも取り上げられるほどの人気を手にします。
そして彼は同時期に憧れのコメディアン、マレー・フランクリンさんが視界を務めるトークショーに出演することが決まります。
そこでアーサーさんはこう呼ばれることになります。
「ジョーカー」と…
さっさと終わらせたいと言ったのに随分と長くなってしまいました。
★そういえばジョーカーってどんなキャラ??★
この章ではあえて予習回で説明しなかった、アメコミ史上類を見ない人気を誇るスーパーヴィラン、ジョーカーという男がどのようなキャラクターなのか説明したいと思います。
ジョーカー君はゴッサム・シティを拠点に活動する狂人・トリックスター・犯罪者・イカれ野郎・サイコパス…です。
この通り一つの肩書に纏めることが非常に難しいキャラクターで、だからこそミステリアスで独特な魅力を放っています。
そんなジョーカー君が悪事を働く主な目的はズバリ「バットマン先生を苦しめること」。
正義の名の下に悪党退治を行なう先生。一向に良くならないゴッサム・シティの治安。そんな先生を「本物のピエロはどっちだよ、なぁ?オイ HAHAHAHAHA」と嘲笑うのが彼にとっての生き甲斐なのです。
先生とはまさにコインの裏表。これまでもティム・バートン監督やクリストファー・ノーラン監督などの手によって、数々の『バットマン』シリーズが世に送り出されてきましたが、そのどれにも現れるのがジョーカー君。
「バットマンを撮るならジョーカーを出さねば」…そんな意識すら抱かせてしまうほどのキャラクターなのです。それをやらなかったからベン・アフレックさんのバットマン先生はいまいちパッとしなかったのかもしれない。いわば越えるべき壁のような存在。ザック・スナイダーのばか!!
過去にはジャック・ニコルソンさんやヒース・レジャーさんの見事な表現力でスクリーン上に命を吹き込まれてきたジョーカー君。一つに留まらない肩書や今でも謎に包まれたバックボーンのせいもあってか、映画界では難役の一つに数えられる彼ですが、今作では名優ホアキン・フェニックスさんの徹底した役作りによって、どこか悲哀も感じられる「悪のカリスマ」が誕生しました。
何よりも本作の特徴はジョーカー君誕生の秘密が独自の解釈によって明らかになるところでしょう。つまり長きに渡ってバットマン先生を苦しめ続け、人々の心を離してやまないピエロが起こした「最初の事件」を知ることになるのです。素晴らしいですねぇ!
★ようやく見どころ★
お待たせしました、内容についての章でございます。
まずはアメコミファンとして押さえておきたい、『バットマン』シリーズおなじみのキャラクター。
ペニーさんと縁のあるらしいトーマス・ウェインさんやその妻マーサさん、そして後にコウモリヒーローとなる男、ブルース・ウェインさんやその執事アルフレッドさんも登場し、アーサーさんの人生に花を添えます。
次は珍しく映像の話でもしてみましょう。今作では現段階で最先端の機材を用いて撮影が行われているらしく、どこか美しさまでも抱かせてしまうような映像があちらこちらで観られます。
そんな映像美の中でキーアイテムとなるのが予告やCMでも使われている「階段」。昇る/降りるといったアクションが何を意味するのかは言わずもがなですが、反復によって彼の人生だけでなく作品の盛り上がりまでもを端的に示していると感じました。よくこの映画を評する時に「喜劇だ!」「いや悲劇だ!」となっているのですが、それはこの辺のシーンをどういう風に捉えるかで別れてくると思います。
そして何よりもホアキン・フェニックスさんが凄かった!!
先ほども申し上げた通り難役のジョーカー君を見事に演じ切ったことを指してそう言っているのではなく、観賞中に「うわぁ〜ホアキンさん演技うめぇ〜」と感じさせる暇を一瞬たりとも与えないんです。この凄さがあなたに分かりますか。
もうジョーカー君がそこにいたの。
難役だろうが何であろうが、「演技うまいな〜」とか「〇〇(役者の名前)かっこいいなぁ〜」ってなってる時点で我々観る側は「演技しちゃってる」というのが分かってしまっているワケで、映画として一歩引いた感じでお話を受け取ってしまっていることになります。今回のホアキンさんはそんな演技についての感想すら観賞から数日経ってから気づくくらいの溶け込み方で、我々を完全に映画の世界へと引きずり下ろしてしまうほどのパワーがあったように思いました。
余談ですけどさっきから演技演技言ってるけど本当に演技という言葉やだなぁ。先ほども言った通り、演技うまいと思う=演技がバレてるの方程式が成り立ってくると演技とは何ぞや?という禅問答に行き着いてしまいます。
本校ではそういうのとぼく自身が「芝居したこともない素人の我々がプロの演技を評価すること」に対する違和感を抱いているが故に、役者さんの演技が凄かった!とかいうような言い回しは避けているんですが、今回ばかりは何というか、一つの理想形を観たような気がしたので特別に推していきたいと思います。
太鼓判、バーーーーーーーン!!!
★あなたもジョーカー、私もジョーカー★
さて、終始低めの口調、しかし熱はこもりまくりの復習回も終わりが近づいてきたようです。
今作ではこれまでの「ジョーカー君」ではなく「ジョーカー」という悪の概念そのものが描かれていたように思います。そのせいもあってか、「らしくない」という声もちらほら確認できる、賛否両論の作品となっています。
そんな映画好きの間で議論の的になっているのが、「実は今作のジョーカー君、バットマンと戦うことになるであろうジョーカー君とは別人なのでは?」というもの。中年男性と幼い子供ですから、この説も頷けます。
これについては監督が「いまはまだ話すべき時ではない」とか言って焦らしてやがるので、いずれまたわかる時が来るのでしょう。そんなものを置いといてぼくが言いたいのは、ではこの物語は何のオリジンだったのか?ということ。
ぼくなりの答えは「ゴッサム・シティのオリジン」。
シリーズ全てを通して舞台となっているこの犯罪都市ですが、今作ではただ単にゴミがそこら中に溢れていて、裕福な人々は優雅な日常を過ごしてる状態に生活難の貧困層は鬱屈した感情を抱いてて、でも大規模なテロなんかは起こりそうもない、どこにでもある街として描かれていました。
そんな街で、いや、そんな街だったからこそ、今回アーサーさんがやったことに爽快感すら覚えたのでしょう。しばらく経ってからそのことに気づいて自分自身が怖くなるくらいです。
いやはやとんでもない作品が2019年のアメコミ映画を締めくくってしまいました。話しすぎてしまいました。最後に一句詠ませてもらって、今回は終わりにしたいと思います。
ジョーカーが
いればジャパンも
ほぼゴッサム
お粗末様でした。笑ってくれよ。
レイトショーで観るのがオススメです。