こんにちは!先日人生で初めて脱毛サロンに行ってきました。ワキリントです。
最近、というか常々ムダ毛いらねーなぁーと思っていたところにサロンの優待券ですよ。こんなもん行かんわけなかろうもんってなことでツルッとやってもらいました。
ムダ毛はマジでムダですよね。しかし今回の授業のテーマは除かれるべき存在にもかかわらずムダじゃないあいつらです!
しっかりとヴィランについてお話しましょう!!
ムダ毛と比べられたヴィラン達から注がれる怨恨100%の視線を受け、参ります!
なぜヴィランはムダじゃないのか
言わずもがなヴィランの存在は社会にとって脅威となります。彼らの野望を打ち砕くためにヒーロー達は日夜その身をすり減らしながら戦っています。
しかしそんなヒーローの存在こそ、この世にヴィランを生む源となってしまうんですね。
たとえばロキ君は幼い頃から王位の正当な後継者であるソー先生に対する有象無象の感情によって執拗に王位を狙う狡猾な男になってしまいます。
バットマン先生の宿敵ジョーカー君にも同じことが言えます。彼は先生を苦しめることを悪事の目的にしており、他のことには目もくれません。
コミックスで先生が死んだという噂が立ったときは一時的に正気を取り戻し普通に暮らすようにまでなったというくらいですから、相当の執念です。
このようにヴィランが生まれる背景には、他ならぬヒーローが密接に繋がっているパターンがあります。
ことある事に光と影に例えられるヒーローとヴィランの関係性。このパターンはヒーロー自身が光となり、影を落とした先にヴィランが生まれる、ということになりますね。
テーマ的にもムダじゃない
では、ヒーローがいるからヴィランが生まれるのでしょうか?必ずしもそうとは限りません。
遥か彼方のクリプトン星出身であるぶっちぎり最強ヒーロースーパーマン先生。これまで先生を主役に据えた数々の作品で必ず描かれるのが人助けのシーンです。
地球をもう一つの故郷とし、愛する人類のため自身の力を使う先生ですが、そんな彼の宿敵ともいえるヴィランがゾッド将軍君とレックス・ルーサー君です。
持たざる者である人類を支配の対象として、猛威をふるい、同族である先生と対立するゾッド君や、彼らクリプトン星人を地球全体の脅威と捉え排除しようとするルーサー君。
彼らのようなヴィランは、果たして先生がいるから生まれたのでしょうか?
先生が現実にいなかったとしても、ゾッド君のような自分の住みよいように力任せに我々の暮らしを脅かすヤベー奴は出てくるし、ルーサー君のように今の暮らしを守るために行き過ぎた力を手にしようとするヤベー奴も出てきてないでしょうか?
現代で描かれるスーパーマン先生のヴィランは、「移民」というテーマを軸に、それがもたらす悪い面の象徴として描かれています。言うまでもなく、先生が良い面の象徴ですね。
つまりこのパターンでは、作品を通して描かれるテーマがもたらす光がヒーロー、影がヴィランとなっていますね。
よくよく考えるとX-MENは「異人種との関わり」、アイアンマン先生は「科学」といったように、一貫したテーマに沿ったヒーローVSヴィランという構図の方が一般的なのかもしれませんね。
時代はやっぱりハイブリッド
これまでお話したようにヴィランには大きな2つのパターンがありますが、この複雑な現代社会では多様なヴィラン像が登場します。しゃーないっすね。社会が多様性を求めていますから。
プラックパンサー先生のヴィランであるキルモンガー君が新時代のヴィラン代表ですね。
彼は1つ目の先生のようなヒーローがいたからこそ生まれたパターンでもありながら、「アフリカ系アメリカ人」をテーマに対をなすパターンでもあるハイブリッド型でした。
2つのパターンのいいとこどりでキャラクターに深みが出た結果、史上最高のヴィランとしての評価を得ました。
ヴィラン冥利に尽きますね!(は?)
さぁーてアイツはどうなるかなー
さて、この辺でヴィラン盛りだくさんの生徒指導室はおしまいです!
この世にムダ毛はあったとしても、ムダなヴィランはいやしない!影が濃いほど光が際立つように、魅力的なヴィランあってのヒーローの素晴らしさなんですよねー。しみじみ。
つまりムダなものなんてアメコミ界には何も無いと声を大にして言いたかったところなんですがありました。
米国公開から日本公開までの期間、マジでムダですわぁ。
ネタバレに耐える数日間はアメコミ熱に多少の影響が出るくらいムダです。
こっちがヴィランになったろかぁぁぁあ゛ぁ゛ぁぁぁん!?!?!?
……おっと失敬。ようやく目前に迫ってきたアイツの活躍を静かに、それはそれは静かに待つとしましょうか。
ちゃんとしっかりヴィランやってんのかなぁ(教師にあるまじき発言をお詫び申し上げます)。
それではまた次回!