私立アメコミ高校

アメコミに関する様々な授業をしていきます

音楽の話をする

役者を目指しているが、共演したいのは軒並みお笑い芸人だ。

 

バラエティ番組で育ったちびっ子だったから、お笑い芸人の面白さだけでなく、凄さも身に染みて感じていた。だから「芸人になる」とはついぞ一回も口に出さなかった。最大限のリスペクトを込めて。

 

いや、だからといって役者にリスペクトがないわけではない。がしかし、正直こんな道は多少バカにならないと私みたいな人間は始められない。「いけるんちゃうん、なんかやれるんちゃうん」という、根拠の無いところからスタートしないと、今のハードモードジャパニーズアクターロードは歩めない。

 

話を戻そう。お笑い芸人がテレビで躍動する機会を減らされるようになってから、私もテレビからは距離ができるようになった。

 

だからこそ、あの日あの時テレビで観ていた芸人さんたちと出会えたら、感動して目頭を熱くさせるかもしれない。めちゃくちゃテンション上がっちゃって「こんなワキリント、見たことない!!」って言われるかもしれない。テンション上がりまくって凄いムチャぶりしちゃうかもしれない。

 

例えばそう、有吉弘行に「『白い雲のように』唄ってください!!」みたいなことを口走る可能性が非常に高い。カラオケでナンチャンに「他のメンバーのとこ全部やるんで『YATTA!』唄いませんか!?」とかお願いすると思う。それだけのためにナンチャンとカラオケに行ったっていい。ビビアンを台湾から呼ぶのは気が引ける。聴きたいけど。

 

今まで言う機会がなかったが、私はお笑い芸人が唄う笑い無しの曲が好きで好きで仕方がない。

 

このタイプの曲の魅力はなんといっても「愚直さ」である。プロが認める歌唱力を持つ玉置浩二氏をもってしても、いや、歌唱力があるからこそ、歌声に愚直さは込められない。表現できてしまうからだ。

 

歌を本業にしているわけではないお笑い芸人がしっかりCDを出していくとなると、もう一生懸命唄うしかない。テレビの力で名だたるアーティストが力を貸し、様々なプレッシャーがかかる中、お笑い芸人ができる事と言ったら下手でもいいから届けようとして必死に唄うことしかないのである。

 

そして一部の曲(吉本興業が流行りに便乗して小銭を稼ごうとしたものが多く含まれる)を除いて、お笑い芸人が唄う曲の持つ「愚直さ」は私の心をガッチリ掴んでいる。

 

それは上手い下手とかは関係なく、単純に私が愚直な人、ガンバっている人を愛してやまないからというのもあるだろうが、歌手とは違うベクトルの苦労をしてきたお笑い芸人だからこそ出せる「より身近で気の抜けた人生の肯定」があるからだ。

 

今のテレビに足りないのは予算でも企画力でもない。「より身近で気の抜けた人生の肯定」だ。

 

思えば私も、それをやりたいからこういう人生を選んでいるのかもしれない。グイッと背中を押すんではなくて、ポンと手のひらを置いて「いるよ」ってしてくれる感じ。

 

もちろん比喩である。だっておっさんの手なんかが背中に触れたらゾワゾワするもんね。そんなことすら忘れてそうな、ただ励ましたい一心で手のひらを置くおっさんの愚直さが好きだ。