ブルース・バナー先生
あーい。こん⤴︎にち⤵︎はぁ→。ワキちゃんですよーって。今日はねぇ〜、アメコミ映画でもなんでもない作品を無理やりこじつけてアメコミ映画って言って…もうめんどくせぇや、お茶を濁していく回ですねぇ、はーい。
ブルース・バナー先生
どーしたもこーしたもねぇってんだよォ〜。いつになったらアメコミ映画を観れるんだよォ〜って、そう言ってんだよォ。ザッっっっけんなよオイオイオイオイ。オイオイオイオイオイオイオイオイ!
オイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイ!
ブルース・バナー先生
ナタリー・ポートマンさんとゲイリー・オールドマンさんがいます。故にアメコミ映画です。
★他人の畑に種植えてる★
ブルース・バナー先生
あーっ?何ー??
ブルース・バナー先生
それがどーしたってぇぇぇぇ!?!?あぁぁぁぁー!?!?
ブルース・バナー先生
クソがよォ〜。いつだ?いつから始まった?「『レオン』がいい」って言わなきゃいけない、映画好きなら通ってなきゃいけないみたいな風潮は。あ?
『ラ・ラ・ランド』もそう、『アメリ』もそう、結局なんだ、アイコニックなファッションとかエキセントリックな色彩感覚を画面に貼り付けとけば「いい」んだろ、その手の輩は。
騙されねェからな!!!!
ブルース・バナー先生
みんなが「いい」って言ってるから「いい」って価値基準やめろや。おめェの声を聞かせてくれよ。おめェはどこのどういうところが「いい」と思ってSNSにあげてんだ?「とりあえず『レオン』好きって言っとけば一定数のフォロワーさんと繋がれそう」って下心が透けて見えるんだよ。
所詮お前の「『レオン』好きです」は他人がせっせと耕して種を植えて水をやり、雨の日も風の日も絶えず様子を伺ってようやく芽を出した畑、そんな畑に無造作に便乗種ブチ込んでる行為と同じだからな。ペラッペラのカッスカスだわ。
ブルース・バナー先生
えぇ観ましたよ。完全版はもちろんのこと、精神的連作と呼ばれる『ニキータ』までね!!
ブルース・バナー先生
女暗殺者の話なので実質『ブラック・ウィドウ』です。早く公開されろやクソが。
普段はマウントなんかに興味はねぇが今回ばかりはやらせてもらいやす。
アンタらがマチルダのマネして丸グラサンかけてボブにしてる間にワタクシは一つ上のステージに上がらせてもらいやぁぁぁぁすぅぅぅぅるるるるるるるぅ。
ブルース・バナー先生
知らん。おらんかもしれん。
ブルース・バナー先生
★お笑いで聴く言葉で『レオン』を考察する男★
冷静さを取り戻しました。ここからは何とか理性的に語彙力でもって「かわいい〜」「泣ける〜」みたいなネットの海に垂れ流す資格すらない五流の回答との格の違いを見せつけていきたいという所存です。
ブルース・バナー先生
やらせてください。言わば今回のぼくは必要悪。「テメェらの『レオン』愛なんてもんは所詮そんなもん」と吐き捨てることで揺さぶりをかけているのです。
この記事が烈火の如く燃え上がった後、それでも立ち上がり己が意志で「私は『レオン』が好き」と言える者。ぼくはそういう人たちだけ残ればいいと思う。
ブルース・バナー先生
さて、『レオン』を観たぼくの雑感なんですが、何よりも冒頭のレオンが依頼を受けてから小太りのオッサンを脅すくだり、アレを観れただけでもう満足しちゃいましたね。オードブルだけ美味かった結婚式のコース料理みたいでした。
ブルース・バナー先生
他にも家族を殺されて身の危険を感じたマチルダがレオンの部屋のベルを鳴らしてからドアが空くまでのくだりとか、仇のスタンスフィールドがトイレのドアを閉めたらいるくだりとか、「緊張と緩和」が要所に施されていました。サスペンスなのかしら。
ブルース・バナー先生
庇いようのない悪人なんですけどチャーミングなのがまたねぇ。フリスク持ってたら絶対奥歯で噛み砕いて昇天するやつやるでしょ。
ブルース・バナー先生
やった。
ブルース・バナー先生
やらん方が『レオン』に失礼。
★死ぬことによって生きる★
ブルース・バナー先生
ん〜。正直どうでもいいっすね。
ブルース・バナー先生
いやまぁ、話せることはあるんで話しますけど、この作品ってぼくが思ってたより「レオン」と「マチルダ」には執着してなかったというか、結構ドライなのね、と思ったのが正直なとこですね。
ブルース・バナー先生
いやそうなんですけど、終盤にレオンの部屋に銃撃が来るまでは、割と淡々と運んでいってる印象があって。
ブルース・バナー先生
その他も「この二人は今こういう会話する所まで打ち解けましたよー」くらいの距離感で撮っている。
要するにそこで「レオン/マチルダがどう思ってるか」とかはそこまで重要視されてないんですよ。逆に言えばそこがこちら側の想像をかき立てて、今日までファンが絶えない理由なのかもしれないけれど。
ブルース・バナー先生
だと思うんですけどねぇ。無理やりレオンに注目してみれば今作って「精神年齢子供な大人」が相応の心を獲得していく話だと思うんですよね。彼がズルいのが最終的にマチルダからの依頼を果たした上で、分身でもある鉢植えを土に埋めてもらえるじゃないですか。
ブルース・バナー先生
それは次の章でお話しますか。
★生きながらにして死ぬ★
さて、一方のマチルダは「私が欲しいのは愛か死よ」という名台詞にもある通り、彼女には幸せな人生への渇望とスタンフィールドへの復讐があるわけですが、結果として彼女はどちらもその手で掴むことはできず、どことなく空虚な表情を漂わせながら作品の終わりと共に去っていきます。
字幕じゃないと名台詞は聴け(読め)ません。
ブルース・バナー先生
ここで『ニキータ』を観たのが活きてくるんですが、おそらく「女性が裏社会で生きることの悲哀と選択」の話でしょうね。
ブルース・バナー先生
ざっくり言うとそんな感じですかね。『レオン』におけるマチルダはニキータのIF、つまり暗殺者(『レオン』で言うところの掃除屋)にならない選択肢も残された状態のキャラクターなんですね。
ブルース・バナー先生
うーん、そこからは映画の「外」の話ですからねぇ…
個人的な解釈を言うのなら、マチルダは掃除屋にはならないと思います。カメラが淡々と収めていった二人の生活の中に、色んなものを超越した「愛」が確かに育まれていたのであれば、ですがね。
ブルース・バナー先生
それぞれの視点でこの作品を表現してきましたけど、トータルすると『レオン』は「愛」の映画だと思います。
ぼくの解釈が違っていたにせよ、マチルダがあの後年月を重ねて、また新たに愛を見つけない限りは、植え替えられて根を伸ばしていく鉢植えのように、レオンとの愛が深く刻まれているんじゃないでしょうか。ニキータのような選択もできずに生きていくでしょう。
今作のタイトルが『マチルダ』ではなく『レオン』であるのは、そういうところも理由の一つではないでしょうか。
★人生観変わる映画★
ブルース・バナー先生
作品自体に罪はないんでね。ただ、仮にぼくが『レオン』に対してよからぬ偏見を抱き、暴言を吐くのが罪であるならば、唯一実在が確認されている元凶というのがいます。
ブルース・バナー先生
それが高校時代の部活の同級生。「これマジで観たがいい!人生観変わる!」とか言われて「映画に人生観変えられてたまるか」と思ったひねくれ少年ワキリント。
あの時からコツコツと溜まった負の瘴気が今回爆発してしまいました。悪いのはそいつです。ぼくじゃない。
ブルース・バナー先生
鉢植えとか、部屋に植物あるのいいなぁと思いました。
ブルース・バナー先生
おあとがよろしいようで。それでは!
レオン「そんな終わり方でええんかぁぁぁぁぁい!!!」