チョモラマン・スクラップブック

色んな「ヒーロー」によって作られた、ぼくの1ページ

【ネタバレ感想】アギト 超能力戦争

『仮面ライダーアギト』は、不遇な作品である。

 

2001年放送、今年で25周年を迎え、「真アギト展」も絶賛開催中の『仮面ライダーアギト』。この作品、平成ライダー作品第1位の視聴率を記録したとか、後に影響を与える複数人の仮面ライダーを初めて登場させたとかいう革新性の割に、あまりにもオタクの語り草になる頻度が少ない。

 

それは前年の「ヒーローという暴力」をテーマに扱った『仮面ライダークウガ』、後年の「ライダー同士のバトルロワイヤル」という衝撃を与えた『仮面ライダー龍騎』、2つの“超“問題児に挟まれた作品だったからだろう。記録よりも記憶に、という言葉が示す通り、インパクトのあるものを人は好む。3人の青年が関わり合いながら、それぞれが持つ謎や運命を1年かけて絡ませて、人として、ライダーとして「進化」していく様子を描くという試みは、それこそリアルな人間ドラマに狂気的なまでの情熱を注いだ『クウガ』からの「進化」であるし、3人ライダーがウケたから思いきり増やして『龍騎』では更なる「進化」として13人になった上、そいつらを殺し合わせた。

 

フシギソウ、リザード、カメール……「進化」の過程と位置づけられてしまった者の、語りしろの無さ。『仮面ライダーアギト』という作品は、一度休止した仮面ライダーシリーズが『クウガ』にて復活し、今現在に至るまで人気のコンテンツとして走り続ける、そのシステムの実質的な基礎を作り上げた功労者とも呼べる作品であるにも関わらず、我々オタクの熱量が変に上がりきらないせいでパッとしない扱いになってしまっている。

 

『クウガ』25周年記念の「超クウガ展」でも感じたが、『クウガ』が成功したのは、ほぼ奇跡と言ってもいい。台本を何度も何度も何度も何度も作り直すとか、後からシーンを追加したりとか、スポンサーのバンダイに黙ってアメイジングマイティのアンクレットを両足につけるとか、そういった大小様々な部分でのこだわり故に周りにその熱意を強いるモノづくりは、東映にあの狂気を続ける体力は、良くも悪くも無いだろう。一作目だからとにかくやりたいことをやってやろう。その勢いで皆がついてきた奇跡のモノづくりから、定番のモノづくりへ。実現可能性の高いシステムを構築する、それが『仮面ライダーアギト』に関わったスタッフのテーマだっただろう。そういったものを見たくて「真アギト展」に行ったのだが、

 

……まぁ、ちょっと期待しすぎたかもしれない。

 

これだ。アギト、G3、ギルス、3人の主役級ライダーのブースを縦横無尽に見て回れる展覧会のデザインはまさに『仮面ライダーアギト』的であったし、アナザーアギトのことも忘れず、アンノウンのデザイン画のこだわりについての展示は最高だった。だったのに!

 

おれは!!!なんでちょっとパッとしない感想にしてんだって!!!!!!!!

 

悔しい。『仮面ライダーアギト』のことを、「真アギト展」の素晴らしさを言語化できない自分がめちゃくちゃ悔しい。勘弁してくれよ、白倉伸一郎プロデューサー。脚本の井上敏樹のオジキ。アンタらの頑張りを見せつける場で良かったんだよ、おれは。何をしてんだよ、大変だったとかそういうのをくれよ。努力を隠すなって。日本人の美徳かい。平成仮面ライダーシリーズを軌道に乗せたのは間違いなく『仮面ライダーアギト』だった。それをなぜ成せたのか、それを教えてほしかった。

 

こうなったら、『アギト 超能力戦争』を観るしかないじゃないか。

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引用:https://x.com/agito_movie/status/2027217127535694325?s=46

 

多くの人々が超能力に目覚め混沌とした世界を舞台に、特殊な力を持たない警察官・氷川誠を中心に繰り広げられる壮絶な闘いを描く。

半凍死、半焼死という異様な遺体が発見された。それは暴走した超能力者たちによるもので、事件解決のため、警視庁未確認生命体対策特殊武装班「Gユニット」が出動する。(中略) Gユニット管理官の小沢澄子は、この事態を打開するには氷川誠の力が必要だと確信する。しかし氷川は現在、ある罪により刑務所に収監されていた。(映画.comより引用)

 

仮面ライダーシリーズ55周年の映画プロジェクト、「仮面ライダークロニクル」の第1号として封切られた『アギト 超能力戦争』。栄誉ある初代。ここから「進化」していく、記念碑としての『アギト 超能力戦争』は、まぁ、なんというか、変な映画だった。

 

ゥおぉぉい!!!!

 

パッとしない感想言うなし!!!!!!

 

何をもって「変」とするか、あるいは何が原因で「変」だと感じたか……だが、オタクに分かるように言えば「井上敏樹だった」に落ち着く。以下には一般の方でも分かるように書こう。

 

その1、癖の強いキャラクター。

実質的に主役となっている2号ライダー、仮面ライダーG3こと氷川誠。彼は正義感と不屈の闘志で怪人撲滅、世界平和に貢献した好青年だったが、不器用なので箸で豆腐を持てない。

1号ライダー、アギトこと津上翔一。皆の居場所を守るため戦った柔和な性格の持ち主だが、たまに底意地の悪いことをしたりする。ニコニコした顔で。

氷川誠の上司である小沢澄子と、私立探偵となった北条透。2人の舌戦は相も変わらず留まるところを知らない。志は同じだからか、仲はすこぶる悪いのに、息が合っている。小沢さんは相変わらず生ビールのジョッキがメガサイズ。

一番の下っ端であった尾室くんは今や警視正。だがやはり小物だ。肩書きだけがデカくなって、余計にしょうもない。

 

お馴染みの面々ですらこの感じである。新キャラなんて更にすごい。

小沢さん率いるGユニットの女性隊員、葵るり子。子供や老人にも容赦なく暴言を吐き、「死刑」と言いながら駐禁の切符を貼る。主力隊員として新ライダー、G6となる。ゆうちゃみ。

香川くんと杵島くんのG3コンビ。お互いを苗字で呼び合うおかげで名前を覚えられる。多分要潤のバーター。

その他、童謡を聴かせて焼死体と凍死体のハーフ&ハーフを作る元保育士、ピンポンの玉に電撃を纏わせて感電死させる美女、息を止めると時間を止められる多分童貞のスーツ男、宝石目当てに念動力で殺人を犯すドラァグクイーン、などなど。

 

あちらを向いても、こちらを向いても、どこか変。そんなキャラクター達で紡がれていく話が、変にならない訳がなく。『SPEC』に出てきそうな超能力者が起こす変な殺人事件を古畑任三郎がマジメに捜査する(その上変身して戦いもする)、みたいな、よくよく考えたらめっちゃ変なのになんで観てられるんやろう?ということがスクリーンにお出しされる。

 

ね、変でしょ?

 

その2、「進化」と「懐古」。

『仮面ライダーアギト』では、神の使いたる怪人たちが超能力を持った(=進化した)人間を殺していた。『アギト 超能力戦争』では、神を気取った人間の傲慢な振る舞いによって生み出された(救いではある)超能力者たちが罪なき人々を無差別に殺し、急進的な「進化」を促進させていた。これに対し、氷川誠はNOを突きつける。

 

「進化」とは誰かによって為されるものではない。

 

進化する。前に進む。要するに、生きる。そういうものは、自分で成し遂げてこそ、その真価を発揮するのだと。「仮面ライダーになろうとする男」と評されてきた氷川誠を演じた要潤は、仮面ライダークロニクルの第1弾、その主演を任せるにはもってこいのビッグな役者へと進化して『仮面ライダーアギト』の世界に帰ってきてくれた。だからこそ説得力がある。困難を乗り越えて前に進む。その結果が「主演 要潤」なのだから。しかし、どうやら企画のアイデアから関わっていたようだが、幸か不幸か、この自らの原点とも言うべき作品への愛情、懐古する気持ちというのは、「進化」とは相性が悪かったように思う。

 

やるべきではなかった、とは絶対に思っていない。ただ純粋に、変だった。25年の時を経て、あなた方は、その、前に進みたいんですか?それとも、昔を懐かしみたいんですか?という、どちらでもなさにチューニングが合わせきれない、そんなもどかしさ。

 

小沢さんはVRゴーグルを付けて指示を出し、ドローン達が装甲となって氷川誠を仮面ライダーG7に変身させる。25年という時代の変遷を考えれば、あまりにも妥当なメカライダーの「進化」。予告で観た時は興奮したはずなのに。なのになぜ、おれはわざわざGトレーラーに乗り込んで手作業で取り付けないと変身できなかった、あの頃のG3を求めてしまったのだろう。あと普通に、こんなに技術が進歩してるのに、なんで香川くんと高松くんの乗っているバイクのシーンは合成が嘘みたいにヘタクソだったんだろう。正気か?

 

作り手と、我々。双方の「進化」を欲する気持ちと「懐古」に浸りたい気持ちが絶妙に噛み合いきらない、変な温度差。ガッカリもしてないがアガりきってもいない。なんだこりゃ。

 

その3、初出の設定「アギト因子」。

オタク向けに「井上敏樹だった」と言っているのはこれが大部分を占めている。超能力者が突如として大量に現れだしたことに説明をつけるために現れたコイツが一番変だ。なんかこう……神とか超能力とか、そういうのでやってきた作品にそういう……化学とか医学で説明できちゃえるのが出てきちゃうのって……その……アリ、なんすかねぇ……?

 

アリである。

 

東映特撮の歴史というのは、こういった「変」で「アリじゃない」ものを強引に「アリ」にさせてきた歴史に他ならないからだ。私はこのブログで何回同じ話をすればよいのだろう。きっと、東映特撮がこういう変なことをしだしたその度に言わなければならない。

 

なぜアリになるのか。

 

その方がおもしれーからだ。

 

オタクは思っていただろう。「力を失ったっつっても、結局津上翔一はアギトに変身してくれるんだろうな」と。だから勝ち確、とはさせないのが『仮面ライダーアギト』を令和の世に復活させる意義だろう。

 

『仮面ライダーアギト』の世界において、人が進化するということは、成長するということは、生きるということは、何なのか。それを一番考えて生きてきた「仮面ライダーになろうとする男」=「常に戦い成長してきた男」=「ヒーローである男」にこそ、『アギト 超能力戦争』における戦いの幕引きは相応しい。東映は、井上敏樹は、常に我々の先を行く。たとえ変だと言われようとも。

 

終わったはずの物語に続編を設ける、それ故の歪みが起きてしまっていたことも認めざるを得ない。「進化」を巡る人間同士の争いというテーマにおいて、あれ以上の適任は『仮面ライダーアギト』にはいなかったと思う。批判は当然出るんだろうが、じゃあポッと出のキャラクターにラスボスを任せて、それで満足できたかというとおそらくNOだろう。

 

とかくオタクはめんどくさい。こんだけ文句言っておきながら、ギルスをちゃんと話に組み込んでくれてありがとうとか平気で言う。私はギルスが好きだった。未だにかかと落としでトドメをさすのが好きなくらいにはギルスが好きだった。役者がやらかしたからこういうのも言っちゃいけない気がしてしまっていたが、ちょっともう辛抱たまらん。不遇な作品『仮面ライダーアギト』の、更に不遇な仮面ライダーギルス。「真アギト展」で新造スーツを制作してくれてありがとう。しれっと色々忍ばせてくれてありがとう。

 

変な映画で上等じゃないか。暴れなくてどうする。

 

もっと目立て。『仮面ライダーアギト』はお前らの思ってる数倍、数十倍おもしれー作品だったこと、見せつけてやれ。仮面ライダーだからって子供と来た親もいたぞ。どうしてくれんだ、あんな血いっぱい出して。後悔させてやれ。

 

怒られたら一緒に謝りに行こう。で終わったら、腹いっぱい焼肉を食おう。25年経った。おれ、もう生ビール飲めるよ。