チョモラマン・スクラップブック

色んな「ヒーロー」によって作られた、ぼくの1ページ

『ウルトラQ』を観た

2026年、ウルトラマンシリーズは記念すべき60周年のアニバーサリーを迎えました。

 

それを祝い、自らのウルトラ愛を更に強いものにするため、『チョモラマン・スクラップブック』のワキリントがシリーズを全部観て感想を語っていく『ウルトラマンシリーズ全部観る』、本日はその第一回、『ウルトラQ』編でございます。

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メインタイトル

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  • 宮内国郎
  • サウンドトラック
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『ウルトラQ』は全27話の特撮テレビドラマ。SF・ミステリー・怪奇ホラーの要素を盛り込み、現代のウルトラマンシリーズにも多大な影響を与えている、記念碑とも呼べる作品です。平成生まれ平成育ち、ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアのいわゆるTDG世代であるワキリントは、『ウルトラQ』を視聴していく中で、いったい何を感じたのでしょう。

 

これからしばらくの間、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入っていくのです。

テーマ1 (「ウルトラQ」メインテーマ)

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贅沢品としての「特撮クラシック」

地中に眠る巨大な怪獣、地球侵略をもくろむ宇宙人、それらによって引き起こされる事件の数々、そしてこれらを3分で解決するヒーロー。それが世間のウルトラマンシリーズに対するイメージだろう。であれば、そのヒーローがいない『ウルトラQ』は、いったいどうするのか。当然の疑問である。

 

結論、解決されないものがある。しかしそういったドラマらしい部分というのは番組の軸__制作陣が我々視聴者に届けたいもの__ではない。現代の感覚では信じられないと思う読者の皆様もいるかもしれない。『ウルトラQ』の軸は紛れもなく「特撮」だ。準備期間1年、製作費は映画並みという規模感で特撮を”テレビで”届ける。これがこの作品の成り立ちなのだ。当然お出しされる特撮映像の数々は、まさに「贅沢」と表現して差し支えない素晴らしい仕上がりだった。まだCGが産声を上げる前だった時代を踏まえた上でこの表現である。

 

目の肥えたオタクになったことはこういった原初の特撮技術に対する向き合い方を捻じ曲げてしまう危険性を孕んでいると常々感じていて、だからこそ私自身が『ウルトラQ』の特撮映像を古臭いとかワイヤーがバレバレだとか言って冷笑するのではなく、あの頃の視聴者と横並びで観ているかの如く興奮でき、リアルタイムの人々に羨ましさすら覚えるほどになったのは安心した。

 

あるいは現代の特撮番組では「特撮」を観られない、という矛盾した渇きが『ウルトラQ』を「贅沢」と呼ばせてしまっているのかもしれない。CGももちろん目を見張る映像を我々に届けてくれている。しかしどういうわけか、それは「特撮」ではないのだ。仮面ライダーやスーパー戦隊を擁する東映の特撮ヒーロー番組は、等身大のヒーローである利点を生かし、アクションやCGの発展と共に進化を続けてきた。対する円谷のウルトラマンシリーズはどうかというと有難いことに、もう一度言おう、マジで有難いことに、変わらず「特撮」の可能性を信じてくれている。その素晴らしさは今後の作品で言及するのを楽しみにしておくとして、『ウルトラQ』ではなぜそこまで特撮に情熱を傾けるのか、その源流を目の当たりにできたという喜びもあった。

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私の知っている特撮と明確に違ったのは、つい先ほどまで登場人物が乗っていたトラックが、漁船が、あっけなく蹂躙されていく容赦の無さだった。おそらく避難が間に合っていないであろうタイミングでいとも簡単に破壊されていく建物を観るのは肝が冷えた。逃げ惑う人々よりも破壊されていく街を長く撮影するあたり、ここにもう人はいませんよ的なノリなのだろうが、「近隣住民の避難完了しました!」「よし!攻撃開始!」のくだりもなくドンパチするところにも、「私たちは戦車で怪獣を爆撃する画が撮りたいんです」というのが前のめりで伝わってきた。フィクション性は高かったが、決して子供騙しには映っていなかった。

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そういやしばらく、架空の街ばっかりよなぁ。

 

噓みたいな時代

いくら特撮を軸にした番組だからといっても、我々視聴者にそれらを信じさせる仲介役として人間は必要不可欠である。『ウルトラQ』にはSF好きのパイロットとおっちょこちょいな助手、そして二人の勤める航空会社のお得意先である新聞社の女性カメラマンの3人がレギュラーとして登場するが、極論この3人と特撮発生装置としての怪奇現象がありさえすれば『ウルトラQ』は成立するといっても過言ではない。

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アメコミ好きでもある私からして、新聞社に所属する人間がいるということ、その推進力にしみじみと感心する。世界初のスーパーヒーローであるスーパーマンもそう、日本におけるアメコミヒーローの代表格であるスパイダーマンもそう。各地で起こる事件を違和感なく登場人物の身の回りで起こすということにおいて、新聞社は抜群の相性である。

 

令和の世になると、こういった事件の発生を知るという描写は専らSNSに取って代わられている。しかし、情報をキャッチするスピードという点では及ばないが、そもそも情報自体に機動力は必要ないのではないだろうか。我々の知る登場人物の目や耳に入り、そこからどうやって動くのか。こちらの方がよっぽど重要である。ウルトラマンシリーズをこれから追いかけていくにあたって、メディアの変遷と物語への推進力いう視点も新たに加わりそうだと感じた。

 

さて、話を戻して『ウルトラQ』ではそれに加えてお抱えの航空会社まで登場する。つまるところ、人間の機動力が段違いだ。第2話で南国の島での取材を終えた女性カメラマンに休む間もなくデケー猿の取材に行かせた描写なんか、その極地である。まだ地球防衛軍のような特殊な組織を空想できなかったのか、あるいはなるべく地に足の着いた導入を目指したのか。「事件発生、出動!」「ラジャー!」をやるにあたって、新聞社はどこよりも適していたのだろう。

 

もう一つ。サラッと流したが、「さっきまで南国で仕事してた社員を別現場に取材に行かせる」というムーブ、現代の仕事のコンプライアンス意識から観るとあまりにもありえなさすぎる。部長が社内で喫煙しているくらいならばなんとなく知っていたのだが、60年前の仕事への取り組み方って「こう」だったんですか???と頭がクラクラしてしまった。

 

新聞社の忙しさの描写だから、では済まされない。第1話で初めてゴメスを目撃する作業員を心配する人間に向かって、現場監督はこう言い放つ。

 

「さぁね、彼はアル中だからね。暗闇の中でライトでも見たってとこだろう?」

 

あ、あああああああああアル中?????

 

なんですと??????????

 

それに対し心配した男も、

 

「フッ……なるほどね」

 

いやなるほどやあるかい。

 

逞しい時代だったのだろう。人手が足りなかった時代だったという訳でもあるまい。ただシンプルに、こういう節々でギョッとするような当時のリアルが差し込まれるところに価値を覚えた。それで言えば、今のSNSで匿名のアカウントたちが言いたい放題意見をぶつけているみたいな、ああいう描写もいつかはありえないものと認識される日が来るのだろうか。

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カネゴンの繭

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特撮きちがいの神様

ヒーローを愛好する私にとって、『ウルトラQ』は「特撮番組」であって「ヒーロー番組」ではない。一般の読者の皆様からすれば、一緒では?と思うのかもしれない。こういうことを言い出すからオタクは煙たがられるのだ……と自らの胸に言葉のナイフを前もって突き立てておいて、一般の読者の皆様には丁重に「まったくちげぇです」とたしなめておく。ごめんね。

 

特撮とは、特殊撮影の略語である。ミニチュアで作った建造物を壊したり燃やしたりするのはいわゆる特撮のイメージそのものであるが、細いピアノ線で飛行機を吊って、空を描いたロール紙を後ろで回転させれば、あたかも遊覧しているように見える。水を張った水槽に色のついた水を流し込み、それを上下逆に撮影することでキノコ雲になる。これらが原初の特撮技術に起きた「発明」であり、その多くが後にウルトラマンシリーズを手掛けることになる円谷英二の手によって生まれた。というか、「特撮」という言葉自体が彼の作ったものだったらしい。やばっ。歴史、面白すぎる。

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後に「特撮の神様」と呼ばれるようになる英二御大のキャリアは、たとえば戦時中の戦意高揚映画であったり、東宝特撮の『ゴジラ』(1954)など多岐に渡るが、これらはあくまで「特撮映画」であって、現代の感覚に照らし合わせてみて「ヒーロー映画」とは呼べないことが、一般の読者の皆様にも理解ができるだろう。当時どれだけ敵兵士を打ち倒す日本軍をヒロイックに描いていたとしても、彼らを「ヒーロー」と形容するのは個人的に拒否したいし、ゴジラは確かに日本が誇る映画スターではあるが、こちらもヒーローのイメージとは異なる。

 

であるからこそ、純然たるヒーロー、ウルトラマンが登場する前の『ウルトラQ』は「特撮番組」でなければならないのだ。

 

先進的すぎるが故に社内からも冷遇されるなど、最初の頃は決して華々しいと言えない生涯であったとしても、円谷英二という男は特撮と心中する道を選んだ。その狂気じみた情熱が形を変えながら脈々と受け継がれ、60年という歴史を刻むに至ったのである。『ウルトラQ』を始めた頃の御大は65歳。まだあの頃の円谷英二よりも若いシリーズと言ってみると、気が遠くなる。

 

まだまだ終わらせるわけにはいかない。神が起こした情熱の炎、私の目が黒いうちに消させてなるものか。

 

ウルトラマンシリーズを制覇する宣言記事はコチラから↓↓↓

 

画像引用元

https://x.com/tsuburayaprod/status/1883719163035922891?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/2006863228970873245?s=46

https://x.com/tsuburayaprod/status/1067682041796354048?s=46