スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、番外編である。
それまでの作品で人気を博した要素を洗練させ、レッドの強いドラマに散りばめる形で新たな方向性をアピールした『光戦隊マスクマン』。それを受け『超獣戦隊ライブマン』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。……と、言いたかったところだが、私は今作を観賞し終えてしまっていて、本企画の趣旨とは微妙にそぐわない。
しかし、既に観ていたというのなら、それ相応の想い入れがあることも事実。だからそのきっかけとなった『海賊戦隊ゴーカイジャー』第30話、『友の魂だけでも』について話したいと思う。

「お宝」だった
『友の魂だけでも』を語るにあたっての難点といえば、前提がかなり多いことだ。『海賊戦隊ゴーカイジャー』という作品が持つ特性、『超獣戦隊ライブマン』で描かれたドラマ、そして『友の魂だけでも』でそれらが結実するに至るまでの道筋。
一つ一つ紐解いていこう。『海賊戦隊ゴーカイジャー』は2011年、丁度スーパー戦隊シリーズが35周年を迎えた時の放送で、それまでのゴレンジャーからゴセイジャーまで、34のスーパー戦隊のヒーローの姿に「ゴーカイチェンジ」できるという能力を持った、その名の通りゴーカイな作品だった。

「宇宙最大のお宝」を探し求める彼らは、その鍵となる「大いなる力」を34のスーパー戦隊から手に入れるために地球で宝探しをすることになる。チェンジはできても過去のヒーローたちが何を成し、何を学んできたかなどは知らなかった彼らが、あの日あの時のヒーローたちと出会い、心を通わせ認められることによって「大いなる力」を学び受け継ぐエピソードは俗に「レジェンド回」と呼ばれた。
スーパー戦隊シリーズを視聴し続けてきた人間にとって、『ゴーカイジャー』はご褒美のような作品だったが、唯一(放送期間中で)残念だったところをあげるとするならば、私が産まれる前の戦隊、とりわけ昭和の戦隊をメインに扱ったレジェンド回が少なかったという点だ。
時勢も相まって全作品から最低でも一人はオリジナルキャストが登場した『ゴーカイジャー』だったが、昭和戦隊でレジェンド回と呼べる扱いを受けたのは『超獣戦隊ライブマン』のみではないだろうか。
幼少期に観ていた小津魁や赤座伴番、獅子走(最高に嬉しかった)がまたテレビで観れた喜びは確かにあった。「そうそう、『デカレンジャー』って「こう」やったよな〜!たまんね〜!!」という感情は大いに満たされたが、反面「観てなかった戦隊って「こう」なんや〜!面白そ〜!!機会があったら観てみたい!!」となれる瞬間が少なかったようにも思う。
ビジネス的に考えれば直近の作品にスポットライトを当てた方が、卒業してしまったギリギリちびっ子たちの琴線に触れられたのかもしれないし、『秘密戦隊ゴレンジャー』のレジェンド回をやれたとて、彼らが掲げていた「団結し、命を懸けて地球を守る」みたいなことをテーマにするんか?それ全部の戦隊に通ずるやんけ、とはなるのは分かるかもしれない。
しかし2025年、50周年になって色々観てきた今だから分かる。昭和戦隊でも絶対色々できた。『超新星フラッシュマン』のレジェンド回なんか、今なら絶対号泣する自信がある。
リスペクトが無かったとは言わないが、昭和戦隊の扱いは中々に不遇であり、また彼らの「大いなる力」も敵に奪われたり、終盤にサラッと「あげるよ~」される形だったので、そういうところを残念だったと表現したいのだ。

「このレンジャー何〜?知らな〜い」「おう!これはなぁ、お父さんがちっちゃい頃に地球を守ってくれた……」みたいなことができるのが昭和戦隊の強みだったはずだが、その辺は劇場版だけの描写になってしまったように思う。テレビでやってほしかった。
だからこそ、『超獣戦隊ライブマン』のレジェンド回は私にとって『ゴーカイジャー』を観た価値があったと言える、宝物のような回なのだ。

覚悟はしてたけど
さて、続いて『超獣戦隊ライブマン』の前提というか、あらすじを話そう。なんやこの記事。下ごしらえが長すぎる。いやでもしゃーないよな?レジェンド回についてイチから話そうという試み自体がこの手間を要求しとるもんな?ついてきて?
『ゴーカイジャー』EDで「友よどうして ライブマン」とあったように、『超獣戦隊ライブマン』は共に科学者の卵として切磋琢磨してきたライバルの同級生が、宇宙の邪悪な科学に魅了され、戦うことになってしまった若者たちの果てしないバトルを描いている。
観たのは大学生の頃だったと記憶しているのでだいぶおぼろげだが、壮絶だったという印象だ。過度な教育や学歴至上主義、競争社会へのアンチテーゼは現代でも通用するテーマだったし、倒さなければならない相手は同時に救いたい友でもあるというこの矛盾と戦っているヒーローというのは、それだけでトロフィーをあげてもいいくらいドラマが映える。

人生で初めての昭和戦隊だったが、このドラマへの気合いの入り方は相当好みだった。それに加えて、今になって調べてみたら動物モチーフを採用した上で武器やマスクにその意匠を盛り込むようなことをしたのは初めてだったらしい(確かに、と今なら思える)し、私が育ってきた戦隊のビジュアル的なイメージが統一され始めたのが『超獣戦隊ライブマン』だったから、比較的咀嚼もしやすかったのかもしれない。
せっかくなので前作から変化したところを確認したら、怪人が意志を持って喋りだしたのが初めて(久々と言うべきか?)だった。幹部はライブマンとの因縁がバリバリに強く、個々で戦闘を行うこともあり、下級戦闘員に対して指揮をする必要があってのことだったのかもしれないし、しばらく怪獣と遜色ないモンスター相手ばかりだったところから、一つのモチーフが定まった怪人となっていたため、これもまた馴染み深い設定を採用していた運の良さがあった。
しかし、というか、『友の魂だけでも』を観ていたから覚悟はしていたつもりでいたが、まぁ求めていた救いは必ずしも得られなかったというか、地球を守りました!めでたしめでたし!!とはとてもじゃないが言えないフィナーレを迎えた作品だった。
せっかくついでに言ってみたいのだが、当時の日本は私が生まれた1996年には跡形もなかったバブル経済の真っ只中だったらしい。ではなぜ、この辺りのスーパー戦隊はビターエンドというか、ハードな造りが多かったのだろうか。
「ジャリ番」と揶揄されていたことに対する反抗という見方もある。しかし、どこか今の夢のような好景気は、それこそ泡のように消えていくものなのだ、そういう悲観的な部分も、当時の製作陣は打ち出したかったのかもしれない。あるいはそういうのが単にトレンドだった、とか。調べてみてもよく分からなかった。
この企画を始めて一番衝撃だったのは、最近の作品のような、めっちゃ苦戦もするけど仲間と力を合わせてラスボスも撃破!大団円!めでたしめでたし!!ファイナルライブツアーもよろしくね!!!!って感じじゃないのが『超獣戦隊ライブマン』だけじゃなかったことだ。
これは考えすぎかもしれないが、バブルのアゲアゲへのカウンターとして一筋縄ではいかん結末にしてるってことは、じゃあ最近って現実があまりにもしんどすぎるんで、せめてスーパー戦隊観てる間は笑おうよ、みたいなこと??と思ってしまう。でも実際そうなのかもしれない。人は色々な情報を知りすぎるようになってしまった。そんな中で楽観的に生きるのは難しい。スーパー戦隊は、そういう殺伐とした中の希望の光でいるべきだ、そんな意志の元で制作が行われているのかもしれない。
だとしたら絶やしてほしくないって……

そりゃ山田裕貴売れるって
ようやく本題だ。『友の魂だけでも』の話をする。
新参者で戦隊オタクのシルバーがいるからこそ、「スケボーに乗ったライオンを探せ」という予言にノータイムでライブマンを弾き出せるスピード感。
ストリート系の若者やちびっ子に対して「あんたライブマン?」と尋ねるゴーカイジャーのユーモアと、それを止めるシルバーが説明することによって生まれる前の戦隊であることを紹介する丁寧さ。
人助けと、同じ「ジョー」の名を持ついう共通点でクールなブルーとノリのいい大原丈を偶然出会わせ、その共通点を自然に出せるように、ブルーのことを「ジョーさん」と呼び、かつ戦隊には詳しくないピンクをペアにしていた巧みさ。

『ゴーカイジャー』序盤で明らかにされていた、ブルーの恩人であるシド先輩が敵組織の幹部・バリゾーグに改造されていた要素を再び持ってきて、ブルーの目的と視聴者の関心が「スケボーに乗ったライオン=ライブマン探し」から「バリゾーグ、元に戻せるんじゃね!?」にスライドした鮮やかさ。
そこからのブルーと大原丈のやり取りは本編を観てほしい。
かっこよすぎるので。
もう一度言う。
かっこよすぎるので!本編を観てほしい!!

『友の魂だけでも』の話をしたいのに一番話したいくだりを説明してはいけない気持ちになるのは、あくまで大原丈を「下級戦闘員と戦えるだけの強さを持ち合わせている、偶然出会った科学者の一般人」として登場させているからだ。
メタ的に言えば彼がライブマンであることは明白なのだが、メインターゲットであるちびっ子はもちろんのこと、その親世代は卒業していたかもしれない『超獣戦隊ライブマン』でこの展開をされると、下手したら親子共々脳を焼かれた可能性がある。
そして、昭和戦隊としてスーパー戦隊シリーズの初期を戦い抜き、その後のドラマ出演も継続しているキャストと唯一直接の濃い共演ができた山田裕貴さんが『ゴーカイジャー』キャストの中でも出世頭と言ってもいい活躍を芸能界で華々しく行っていることに、何か意味があるような気がしてならない。

想い出に残るエピソードは『ゴーカイジャー』には数え切れないほどあるが、1番を決めるとなったら即答する自信がある。一つの戦隊が1年かけて得た生き様を通して、今まさに悩みもがく人の支えとなる。ただ力を与えるだけではない、良質なエピソードだったのだから。
そんな大好きなエピソードを、後にあの『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』のメインライターを務めた香村純子さんが執筆していたと知った時の衝撃。オファーがある前からこのエピソードを勝手に執筆していたらしく、愛や情熱はやはり作品に宿るのだと確信した。
さて、そんなわけで番外編と称して好きなエピソードをただただ喋っただけの『超獣戦隊ライブマン』回となったが、次の制覇企画記事は遂に平成編へと突入する。
花、鳥、人間、それぞれの命を守ったライブマンが駆け抜けた青春は、若さ全開の新たな戦士たちへと受け継がれていく。心して追いかけていきたい。

前作『光戦隊マスクマン』の感想はこちら↓↓↓
