私立アメコミ高校

本当はもっとアメコミのこと喋りたいけどね!

男装カフェで会いましょう

「人と違うことを誇れ」と言われて育ってきた。

 

だから、安直に流行りのものに靡いたことがない。結果、なんかちょっと生きづらいな、と思うことが度々あった。たとえば『国宝』とか観れてない。今この瞬間にウケてるものに触れた大多数の側につくことへの忌避感がずっと取り払えない。

 

人と違う、ということは、どの程度まで違っていればいいのだろうか。あるいは、どの人と違っていればいいのだろうか。この世が善人ベースで構成されていたとしたら、私は悪人であることを誇れ、と言われている訳だが、それは正しくないことくらい頭で分かる。というか、そんなことを教えている親とも違って生きていくべきなのだろうか。であればそれは、裏の裏が表であるように、どこまでも人と同じでいようとすれば実現されるのであろうか。いやそんなの真っ平御免だ。誰がAKB48などというキモイおっさんの需要に媚びを売るような存在に鼻息荒くせねばならんのだ。誰がEXILEなどという繁殖力と腕力でしか競い合うことができなさそうな連中の真似事などせねばならんのだ。あぁ気色の悪い。では日陰で生きるべきか。そんな訳ないだろう。少なくとも教室の片隅を陣取り続ける人間でいていい訳ないだろう。能力のない陽キャも度胸のない陰キャも目ん玉ひん剥いて見とけ、学校行事の正解を見せてやろうじゃないか。

 

だいぶ極論しか言っていないが、これが思春期の私の脳内だった。普段の学校生活で幅を利かせる陽キャが学校行事で調子に乗ってリーダーになるも、「人を動かす」ということに四苦八苦するのにほくそ笑みながら、同じ役職でスムーズに事を進めることに至極の快感を得ていた学生だった。

 

人と同じに生きられたら、どれだけ心乱されない生活ができたのだろう。

 

 

 

 

 

ピンク映画に役者の学校時代の同期が出た。

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社会人として比較的安定した収入を得ている以上、厳しい世界で奮闘している友達のことは応援してあげたくて、舞台やチョイ役で出ているドラマなんかは観測できる範囲で網羅しているのだが、流石にピンク映画を観に行くという行為には躊躇した。

 

ただでさえ子供向けのヒーローもんばっかり観ていてそういうのをそういう目的でしか観ることがなく、邦画でちょっと女優さんが肌色多くしているだけで「大丈夫なん!?!?」とジタバタしてしまう私(これはプライドとして言っておくが、童貞じゃないんです)が、お世話になったことのあるエッチ女優さんと友達の濡れ場をデカいスクリーンで観るという体験に耐えられるのか。

 

観る前はそういうしょうもないことばかりを考えていたが、えらいもんで始まったら案外大丈夫だった。やはり映画体験というのは、家での配信で得られるものとは違うのだろう。そうじゃないと困る。映画館でシコると犯罪なので。

 

「普通こうあるべき」という一般的な在り方と違う価値観を抱いている自己に悩んだ男女が寄り添い合うという中身だった。

 

女性の男装とか、可愛いもの好きの男性とかいう風な描写だったが、性自認とかそういう、なんかもう政治とか宗教みたいなところまで関わってき始めてるトピックじゃないところの「ようやく理解され始めてきた『他とは違う私』」をテーマにしていたのは挑戦的だったな〜と思う。

 

好意を寄せている男性があろうことか男装している自分を好きだと分かり、男装している自分に嫉妬して嫌いになりそうだから男装を辞めようとする、という辺りは、自分では予想もしてなかった発想だったので特に面白かった。愛という人類最大の正しい感情によって押し潰されてしまうかけがえの無い自己、というのは、外圧によって起こされるものだけではないという発見があった。

 

ピンク映画自体が初めてなので、こういうのがピンク映画の文脈のスタンダードなんです、と言われたらそれに従うしかないのだが、変な映画ではあった。自分らしく堂々と生きている人間のことを「カッコメン」と呼称している辺りは知らん間に若者の間で大流行した言葉かと思ったら多分この作品の造語だったし、店外デートかと思ってたら離婚協議中の妻との話し合いに頼れる男装の人を連れてきた日の話だったので、なんかこう、丁寧さがほしかった。

 

いやどうなんだろう。よく分かんない。少なくとも自分はこのテーマをピンク映画でやる意味はなかったんじゃね?純愛やん、濡れ場なくてもいいのでは?と思ってしまったので、じゃあしっかり芝居できる人連れてきたら良かったね〜と思うし、濡れ場に価値を見出しているのならエッチ男優さんとドラマ仕立ての気合い入ったエッチビデオにしたら良かったんじゃないすかね〜とも思う。ドラマパート、濡れ場、双方のフィールドじゃないところで拭えないぎこちなさがあったのは否めない。

 

きっかけが役者の学校の同期が出てるから、なので、そいつが芝居しててだいぶ苦戦したろうなぁというのを思いながら観ていた。エッチビデオの男優さんはまぁまぁオーバー気味にリアクションしていたり、芝居の部分は独りよがりだったりするので、なんかこう、「できる」って思っちゃってんだろうな、というのが伝わった。あいつの芝居の正解はどれだったのだろう。オーバーに受けてあげることだったのだろうか?これはあくまで「映画」として作っているのだが……どちらがアウェーのフィールドから来た人間なのだろう?どっちのフィールドから派生した形でピンク映画は生まれたのだろうか?それによるくない?

 

っていうか、ピンク映画ってこんなにしっかり感想とか言うもん?どうなん?観たこと自体堂々と言っていいもんなん?おれは言うけどさぁ。

 

ほんでもしエッチ女優さんに「わ〜!観てくださってありがとうございます♡これからも応援よろしくね♡」みたいなリプ欲しさに褒めてるおっさんがこの映画の感想の大半を占めているんだとしたら、真逆の人間であろうと思う。

 

だいぶ厳しい意見を言っている気がするが、監督さんはどうか、恨むなら私と、私に施された教育を恨んでほしいし、こんな意見に媚びるくらいなら自分を貫いてやり続けてほしいし、手のひら返すくらいすげー映画を作ってほしい。

 

芸術という厳しい世界の、そのまた更に厳しいジャンルで戦うという選択をしている人は、凹むより誇って生きていてほしい。きっと私の親も、生きづらさの中でもがく私のことをそう愛してきたのだろうから。