スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、第11弾である。
シリーズに大変な事件が起こった最中での記事とはなるが、変わらず更新していこうと思う。
さて、現代では考えられないスパルタ描写を交えて、人智を超えた力の限界を人間が引き出す奇跡に鬼気迫る説得力を与えた『電撃戦隊チェンジマン』。
それを受け『超新星フラッシュマン』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。

戦士の登場
『星獣戦隊ギンガマン』の記事で、スーパー戦隊シリーズにおける戦士の初出は『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だろう、と述べたが、こういう企画の醍醐味と言うべきか、まさか宇宙とか科学っぽい見た目の『超新星フラッシュマン』が初の戦士設定なんですね!?!?と驚いた。
我々が普段暮らすものとは異なる文化圏で育ち鍛えてきた者たちを指して「戦士」と表現しているが、まさかその発祥が宇宙だとは。それだけでなく赤ん坊の頃に地球から攫われたときた。

ファンタジーではなくSFより。ポップではなくシリアスめ。この時期の戦隊らしさを保ちつつ、新たなアプローチでワクワクさせようとするチャレンジ精神が迸っている。
普通の人間なら見逃しがちな些細なことに感動する。かと思えば戦闘では目の色を変え、超人的な能力を発揮して敵を倒す。おおよそ変人扱いされそうなファッションや言動をまるっと許してもらえる。戦士のメリットはこれら全ての理屈が「我々とは違う日常を生きてきたから」で説明できることだ。
そして更に、人と人とが分かり合うこと、支え合うことは環境の違いすら乗り越えて可能であるというメッセージに繋げることすらできるし、戦士という誇りと私情との間で葛藤するドラマを生むこともできる。
これまでの作品で頻出してきた「軍人」は現代の世界情勢を鑑みるに軽々しく出すことはできないし、できたとしても組織の中で健全に生きるために「個」を重視する傾向の強い現代スーパー戦隊シリーズの流れではマイルドにならざるを得ないだろう。
「戦士」は違う。我々とは違う世界を生きてきたからこそ、いついかなる時代でも誇りを持って戦う者たちを描ける反面、彼らが「個」を選べる可能性は限りなく薄い。
ではなぜ、『超新星フラッシュマン』は戦士を選んだのだろう。

井上敏樹という「親父」
この記事を読むような物好きの中で、脚本家・井上敏樹の名前を知らぬものは、まさかいるまい。
その速筆で『仮面ライダークウガ』の窮地を救って以降、『アギト』『龍騎』『555』と前期平成ライダーの脚本を執筆した男、井上敏樹。
それ以降も仮面ライダーシリーズの脚本に度々参加したが、リアルタイムで彼の描く独特な世界を「浴びた」と明確な記憶を持って言えるのは、久しぶりに戦隊のメインライターを務めた『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』だった。
そして感じたのは、彼の書く脚本の根底にあるのは「人間讃歌」であるということだった。たとえヒーローと位置づけられている存在であっても完璧ではない。沢山間違える。それを我々特撮好きは、「人間臭さ」として受け入れる。所々欠けている人々が出逢い、繋がり、お互いを補い合うことで、自己と周囲をまるっと肯定するに至る、そんな人生の素晴らしさ。
スーパー戦隊シリーズ初めての脚本執筆となった『超新星フラッシュマン』においても井上敏樹御大はその根底をブレることなく貫いていた。
とはいえ、やはり展開はすごい。洗脳された仲間たちに襲われ、戸惑いの末戦う覚悟を決めたレッドの目には殺意すら感じられた。ヒーローへのアンチテーゼを恐れずに叩きつける御大は、同時にヒーローの英雄性を、ひいては人間の善性を心から信じているのだと思う。

まぁ元から民間でタイムマシン作るヤバ博士とか、いるんですけどね〜
時は移ろい、今や御大の娘さんが『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』のメインライターを務めている。井上敏樹という「親父」を持つのは我々世代と同じ。思えば御大も脚本家の父を持つ。三代に渡って東映特撮に関わり、それぞれが(おそらく)意識せずとも戦っていた。
「家族」という強い繋がりがあるからこそできる戦いなのかもしれない。

私は、地球を愛せているだろうか
『超新星フラッシュマン』は知りうる限り、スーパー戦隊シリーズ史上最も悲しい話だ。

先述の通り地球から遠い宇宙に攫われた子供たちが、20年経って故郷の星にフラッシュマンとして帰ってくる。夢にまで見た地球の大地、青空、草花や木々、そこで生きる人々。
フラッシュマンには悪の組織・メスを倒すという戦士としての使命の他にも、生き別れとなった家族を探して見つけ出すという願いがある。

サー・カウラー、カッコいいんやけど攫った子供たちをフラッシュ星に置いてった理由教えておくれ。
だから、もしかしたら自分たちの家族かもしれない人間に出会い、彼らが危機に瀕した時、フラッシュマンは口々に家族の名を叫ぶ。フラッシュマン同士で血が繋がっている訳ではないのでそんなわけないのだが、「かもしれない」時点でこの家族は「自分の家族」なのだ。
たまたま日本の中だけで話が終わったが、究極外国籍の人間に対しても「父さん!!」とか言い出しそうな勢いがフラッシュマンにはある。
20年もの間、遠い宇宙の果てで苦しい訓練に耐え抜く糧となった家族の温もり。との戦いの中でもその渇きには抗いがたく、また皆がその気持ちを分かっているため単独行動を許容する。
もはやフラッシュマンにとって、地球で生きる全ての人々が守るべき生命の最たるもの、「家族」なのである。
しかし終盤、あろうことかフラッシュマンとして鍛えてきた20年間が呪いのように彼らを襲う。地球人に触れると電気ショックのような衝撃を受け、草木は毒ガスを発し、水も太陽の光も彼らに牙を剥く。

守るべき星、焦がれに焦がれた我が故郷、地球。それに拒絶されるというショッキングな展開は、戦いが佳境に入っても尚、いまだに実の家族の手がかりすら掴めない虚しさに拍車をかける。
当時世間を賑わせていた中国残留日本人問題に着想を得たこの物語。子ども番組と軽んじられていた時代のスーパー戦隊が、子ども番組だからこそ万人に伝えられるメッセージを投げかける。
これほどまでに地球から拒絶され、自分の命が危ういと分かってもなお地球を愛することを、人々の命を救うことを諦めないフラッシュマン。
あなたは、彼らのように地球を愛せていますか。
家族を、愛せていますか。
今度は我々が守っていかなければならない。あの大地も、大河の煌めきも。そうした善意からくる行動はきっと、世界を救う。
人は不思議な力を秘めているのだから。

前作『電撃戦隊チェンジマン』の感想はこちらから↓↓↓
