スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、第9弾である。
ヒーロー、悪役双方のキャラクター性や物語の展開にブラッシュアップが観られ、その相互作用によって爆発的な面白さを届けてくれた『科学戦隊ダイナマン』。
それを受け『超電子バイオマン』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。

ロボの話をしたい
これまで章まるごと使ってロボの話をしてこなかったのは、純粋に私がロボのおもちゃをおねだりしてブンドド遊びをするような、そういうちびっ子ではなかったからだ。
私がロボに対して興味があるのはその強さやカッコよさではなく、専らその力を手に入れるにあたってどれだけエモーショナルでロジカルな展開が設けられたかどうかである。
そのため、今回のような企画においては『バトルフィーバーJ』で初めてロボが登場したり、伝統的な必殺技・満月切りを披露したりと、スーパー戦隊50周年の歴史の中でその作品のロボがどういう位置づけであるかの方が私にとっては重要なのだ。申し訳ないが、フォルムやビジュアル、おもちゃの売れ行きのことで語るのは期待しないでほしい。というかこの辺は教えてほしいくらいだ。
それでいうと『超電子バイオマン』のバイオロボは、シリーズ上初めてと言っていいレベルで「キャラクター」として描かれていた、そんな印象を抱いた。

掃除してもらえている。全スーパー戦隊展の展示ってこういうことやったんか〜!!
2機のジェット機型マシンが変形合体して完成するバイオロボは、その初登場が戦闘ではなく、バイオマンに変身できる素質を持った若者を見つけ、だいぶ強引に捕まえて彼らを導くバイオ星のアンドロイド・ピーボの元へ連れてくるという役回りだった。

もっといい勧誘の仕方はなかったんか、ピーボ?
つまりバイオロボはバイオマンを必要としない自律行動が可能ということである。それは「バイオマンが5人揃わないとフルパワーが出せない」だとか、「巨大戦の大ピンチに自らバイオマンを緊急脱出させる」だとかの推進力を産むことになるのだ。
これまでのロボ、あるいは巨大戦は、終盤に登場すれば勝ち確定、ちょぴっと苦戦して必殺剣でぶった斬って一件落着!という予定調和の権化みたいな存在だった(それでも「エピソード序盤に出てきたら1回負ける」というジンクスがこの時点で既に確立されていたことは驚愕だが)。
しかしこれが敵の作戦で誰か一人が分断されていたりとかすると、途端に「負けるかもしれないドラマ」の時間となる。どこかのタイミングでロボが大破する激烈なトラウマを植え付ける作品が出てくるはずなのだが、『超電子バイオマン』がそれか?と思わせるほどに、バイオロボは愛着を持ってもらえるキャラクターとして描かれていたように思う。

人の話をしたい
「イエローフォー殉死事件」というのがある。
初めてのダブルヒロイン体制をとった『超電子バイオマン』において相当な期待を込めてお茶の間に届けられた初の女性イエロー・イエローフォーは、バイオマンの力の源であるバイオ粒子と対を成す反バイオ粒子によって致命的なダメージを受けながらも戦い、たった10話でその生涯に幕を下ろす。

裏の話は都市伝説レベルに過ぎないので言及はしない。私が『超電子バイオマン』に拍手を贈りたいのは、この大事件を完全にコントロールしきったことだった。
どうすることもできないと悟ってから、イエローを殺す展開を盛り込んだ脚本を仕上げて完成までやり遂げたこと。
そこから間髪入れずに2代目イエローを加入させるエピソードを放送したこと。

そのエピソードできちんと初代が戦死し、バイオマンになるということの意義を再び固く認識させる描写をさせたこと。
弱さ故に初代に庇ってもらってばかりだったピンクを徐々に成長させていくことで、対等な関係性のダブルヒロインを完成させたこと。
初代を殺すために生み出してしまった反バイオ粒子という劇薬を、バイオハンターシルバを登場させることで腐らせなかったこと。

シルバの登場で皆が初代の死をフラッシュバックさせたこと。
鮮やかで、それでいて無駄がない。何より一人の仲間の死を無かったことにしていない。

観る前から戦隊史に残る大事件として知っていた「イエローフォー殉死事件」だが、だからこそその顛末、特に「その後」を知りたかった。知れてよかった。
『超電子バイオマン』を語る上で欠かせないトピックだが、これをネタとして語る人間とは仲良くなれそうにない。

当時関わった全ての人の、血の滲むような必死の奔走によって『超電子バイオマン』は今現在の形になっている。そこにリスペクトをはらえない人間とは。

心の話をしたい
さて、このように『超電子バイオマン』は、様々な新要素を盛り込み、大事件に見舞われながらも決して挫けることなく全てを綺麗にまとめあげた、「傑作」と言ってもいい作品であった。

相も変わらず科学技術が正義/悪、双方の力の源となってはいるが、興味深いのは、バイオマンの力は宇宙由来、バイオ粒子なる謎概念によるもので、対する新帝国ギアの力は首領ドクターマンこと蔭山秀夫が人間の一線を超えてしまったことで得られた頭脳による科学であったところだ。

これまで人類の努力の叡智として描かれた科学が、今作では明確に人=ドクターマンの手によって悪用されたものとして牙を剥く。それはバイオマンに対してだけではない。自らにメカ人間幹部3人衆が謀反を起こした時もそう。我が息子・修一に対してもそう。挙句、死期を悟って尚野望を果たさんとする執念で自らに更なる改造手術を施すほどである。
改造によって得た仮初の忠誠もバイオマンとの戦いの中で虚しく砕かれ、孤独へと突き進むドクターマン。その中で修一だけがドクターマンの中の蔭山秀夫を信じ、親子の時間を過ごそうとする。

一線を超えてしまった人間のエゴのメタファーとしての科学は、それすらも超越する心によって敗北する。どれだけ科学が進歩しても、人間の、人間を信じようとする心の可能性には敵わないのかもしれない。そう信じたい。
明確に「傑作」と表現するのは我ながら珍しい。とてつもない強敵や逆風に傷ついても恐れない、挫けない、そんな姿に心を打たれたからだ。
言及していないだけで面白い作品続きだ。このままだと次は「伝説」とか言いだすかもしれない。

前作『科学戦隊ダイナマン』の感想はこちらから↓↓↓
