スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、第7弾である。
唯一無二の特徴を持ちながらも、抜群の塩梅で要素を足し引きした結果、現代にも影響を与えるほどの作品となった『太陽戦隊サンバルカン』。
それを受け『大戦隊ゴーグルファイブ』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。

ロボ乗ってたらヤバかった
『大戦隊ゴーグルファイブ』がシリーズに残した功績といえば、初めてのブラック戦士を起用したことだろう。

春田純一さんを起用して日の目を浴びることになったゴーグルブラックは、その明晰な頭脳と不屈の精神力でゴーグルファイブのサブリーダーとして獅子奮迅の活躍を観せた。
大葉健二さん以来となるスーツアクター兼任ということもあり、生身のアクションも物語初期からキレッキレ。
ゴーグルファイブは当時のおもちゃ技術の限界か、5人いるのに合体ロボのパーツとなるマシンが3体のみ。搭乗できないブラックとピンクは母艦でのサポートという、なかなか稀有なスタイルで巨大戦を行う戦隊であった。

母艦・ゴーグルシーザーの発進シーン。後楽園球場がせり上がって地下のシーザーが離陸する。特撮気合い入りすぎ!
これがもし、ブラックもロボを操縦し、出番を増やすことになっていたとしたら……そう考えずにはいられない。確実にレッドを上回る人気を獲得していたに違いない、そう確信せざるを得ないほど、ゴーグルブラックの存在感はとてつもなかった。
しかし、それを指咥えて見ているほど、当時の役者はいい意味で仲良くなかったのだろう。レッドが危険なアクションをしたかと思えば、他のメンバーも泥まみれになりながら自ら出番をもぎ取っていく。ピンクが七変化をするだけでなく、炎の中で自らを縛るロープを焼き切ろうとする目力などは鬼気迫るものを感じた。

多分、仲は良い。
これまでの作品に比べてアクションシーンでのスローモーションが多用されていた印象が強いため、スタントダブルでの誤魔化しがきかなかったということも考えられるが、『大戦隊ゴーグルファイブ』の役者陣はかなり体当たりの芝居をしていた。令和の今、あのレベルのアクションをやっていたら、相当高い評価を受けていたに違いない。

ブラック効果にはもう一つある。冷静沈着なサブリーダーというポジションを取って代わられたブルーが、しばしばグリーンが担当していた若くて突っ走りがちなキャラクターとなった。「クールキャラはブルー」という印象は強いが、「ブルーはクールキャラ」にする必要が無くなったのは今後の作品づくりに大いに幅を生むことになる。
現に今作のようなブルーは『超力戦隊オーレンジャー』や『百獣戦隊ガオレンジャー』に受け継がれているし、クールなブラック像は『獣電戦隊キョウリュウジャー』『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』にも活きている。
ブルーとイエローが力を合わせて敵を攻略するエピソードのような、個々人の連帯を描くという手法も生まれた。自然と目立つことになるレッドやピンク、想像以上に存在感を放ったブラックの陰で、しかし確かにそこに居てくれる2人を、ユーモアと熱い友情で描き切る。物語に生きるキャラクターたちへの、造り手たちの愛を感じずにはいられないバランスの取り方だった。

思っていたより新体操、思っていたより『キラメイジャー』
「ゴーグルファイブは新体操」。『海賊戦隊ゴーカイジャー』以来、私がゴーグルファイブについて知っていた情報はこの一点のみだった。
役者が既に引退しているとか、諸々の事情で昭和戦隊が『ゴーカイジャー』でピックアップされることは少なく(専らバスコに奪われる形で大いなる力も処理されてしまっていた)、そのため上記のエンディングや一瞬のゴーカイチェンジでのみ、その雰囲気を感じられるに留まってしまっていた。
前回の「1たす2たすサンバルカン」なんかは話に絡んでないので比較にもならないが、「ゴーグルファイブは新体操」は言い得て妙、めちゃくちゃ新体操していた。
まずリボンが共通武器というだけで「ゴーグルファイブは新体操」だと思っていたら、ロープ、クラブ、リング、ボールと、それぞれに固有の新体操をモチーフとした武器が割り当てられており、その中で一番新体操っぽいリボンが『ゴーカイジャー』ではフィーチャーされていたに過ぎなかったことに気づく。

更に必殺技では組体操や鉄棒の大車輪を彷彿とさせる合体技を繰り出し、随所に「ゴーグルファイブは新体操」を盛り込んでいく辺りに、ノリノリでアクションを作っていたであろうことを感じる。
一方で、「ゴーグルファイブは新体操」じゃなかったのね!?!?という驚きもあった。
私はてっきり、各国のダンスをモチーフとした『バトルフィーバーJ』のように、新体操をモチーフとして戦う作品なのだとばかり思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、未来科学の技術を結集し、アトランティスやマヤ・インカなど、人類が繁栄した文明の象徴として宝石が各々に割り当てられていた。要するに『大戦隊ゴーグルファイブ』のモチーフは「宝石」や「伝説の文明」であり、新体操はあくまでアクションシーンにおける華やかさを担保するものだったのだ。
文明についてはオープニングくらいでしか言及されないので割愛するとして(ムズすぎるやろ)、もうひとつのモチーフとなった「宝石」、そして基地でゴーグルファイブを後方支援するパソコンに強い少年少女たち、通称コンボイに注目したい。

コンボイ1人それぞれ自らが戦士として(レッドは例外か。まぁええやんか)ゴーグルファイブとなる人材を選び、特別な連帯を築く。この戦士とその相棒の構図は、宝石という物理的なモチーフとも相まって、『魔進戦隊キラメイジャー』を想起させるには十分なほどの類似性を感じた。
時に自らの支援に自信をなくして励まされたり、逆に子供ゆえの単純さでトラブルを持ち込んだりと、1人の人間として成長し、果てには地球の未来を託されるに至るコンボイたちとゴーグルファイブの絆は、長年の歴史を重ねた結果、自我を持つ宝石と才能溢れる若者たちの物語へと形を変えて受け継がれたように思う。
メインターゲットである子供を常に登場させておく必要があったであろうノルマをこういう形でクリアしていく工夫も感じられる、東映の技が光るポイントというふうに受け取った。

「科学」の限界
さて、このように令和戦隊にも通ずる人間対人間の交流を描いて非常に楽しめた『大戦隊ゴーグルファイブ』であるが、褒めてばかりではいられないのがめんどくさいオタクになってしまった人間の辛いところだ。
そろそろ科学の限界が来ている。チラッと話したがロボは5人での搭乗を最終回まで可能にはできず、敵方も暗黒科学の名のもとに作り出した機械でその辺の大学生にポマト(上でトマト、下でジャガイモがなる新種の植物)を作られる始末だ。そりゃ大元帥に粛清もされる。

左半分がだいぶサクッと居なくなる。
モチーフを作りこんだとしても、それを盛り込む器としての「科学」がその手数を失いつつある。日進月歩で発展していく科学が、一年毎に新たな要素を観せていかなければならないもの作りに追いつかなくなっている印象を、少しながら感じてしまった。
科学の発展は人類の叡智の結晶でもある。それ故に争いが起こることもあるが、基本的には人が文明を先に進めようとする情熱の表れとして科学があり、そうした情熱を素晴らしいと思ったからこそ、同じように人のための技術革新に邁進したであろう伝説上の文明になぞらえて長官はゴーグルファイブをつくったのだろう。
同時に科学の発展は、既存の価値観からの脱却でもある。正義の熱い血を燃やした『大戦隊ゴーグルファイブ』には、ブラック加入やキャラクターと性格の組み合わせのような新しい視点が盛り込まれた。だから、いつか「科学」そのものから脱却する時が来る。
まだ観ぬ作品たちの中の、どこで科学から脱却することができるのだろうか。最速予想大本命の「光るオーラだマスクマン」まで来ないとなると、相当の期間東映はワクワクするモチーフと、それを受け止めきれなくなっている科学のジレンマと戦っていくことになる。
どこかで爆発的な何かが起こらなければ。

前作『太陽戦隊サンバルカン』の記事はこちらから↓↓↓
