新しい仮面ライダーはお菓子の力で戦いますと言われて、世間は「えーっ!?何それー!?!?www」となり、我々特撮好きは「おっ、また東映が東映してるねぇ」とか、「脚本香村さんか、ポップに見せかけて内容エグそう」とか、「最強フォームはパフェとか?」となる。
そんな『仮面ライダーガヴ』が第1話で「怪人の父と人間の母の間から生まれたハーフ」「そのうえ改造人間」「同胞とも言える怪人を手にかけ人を救いながらも化け物と恐れられ、人知れずバイクで去る」という描写をした時、我々特撮好きは「令和の世にこんな仮面ライダー仮面ライダーしてる仮面ライダーが観れるなんて!僥倖!!僥倖!!!」となった。主語がデカいか。まぁ許してや。
私はというと、監督の懐古趣味と手癖とネームバリューだけでテレビ放送版が映画館上映に整えられただけ、という印象に終わってしまった(これに関しては私も悪いところがある)『シン・仮面ライダー』に比べて、よっぽど「令和に『仮面ライダー』をやろう」という気概を感じられて毎週楽しみに観賞していた。
そして本日、最終回を終えた今、その「『令和』に仮面ライダーをやろう」という気概に唸る、そんな余韻を感じている。
この「唸る」にはポジ/ネガ、両方の意味合いが含まれていて、主にネガの方で柄にもなくXでとあるツイートに共感するような返信をしたらツイート主さんを困らせてしまったので、今回はその贖罪の意味も込めて、感想をまとめていきたいと思う。
当ブログでも度々絶賛している脚本家、香村純子さんをメインライターに据え、制作体制の見直しも相まって、実に展開上のストレスがない作品となった。
変身者であるということだけでなく、怪人の血が混じっているという二重の正体を隠しながら、怪人に強い復讐心を抱き撲滅を信条とする2号ライダー・ヴァレンと協力していく序盤、ギリギリ嘘は言っていないコミュニケーションですれ違い続ける辺りはポップに見せながらも、その裏では強かに「正体バレ」という爆弾の導火線が火花を近づけていた。
この場合、より「美味しい」のは後者の正体バレ。だから前者は割とすんなりバレるし、受け入れも早い。しかし後者はなかなかに引っ張る。そして我々がぼちぼちバレそうかもな、いやあるいは終盤までこの感じでいくのも……と予感する、その1歩先のタイミングで仕掛ける。
「やられた」。『ルパパト』であんなに引っ張ってこれた香村さんならやりかねん、そう思った隙を突かれた。
この状態で進んでいた時は、物語に緊張感はあれどストレスはなかった。積み重なった緊張感で確かにストレスはかかっていたが、それがどこかしらの形で何かしら大きな「うねり」として昇華される、それをやらないはずがないと分かっていたからだ。
そうして訪れるガヴとヴァレンの絆の崩壊、そして新たな形の友情の結実をもって、『仮面ライダーガヴ』における正体バレのドラマは視聴者に爽やかな開放感をもたらすに至る。
ところが、こうした良き反応を生む展開ばかりだったとは言えない。
たとえば物語も終盤に差し掛かってきた頃、洗脳を受けたヴァレンの脳内で繰り広げられる会議とか。あの描写を成立させるためには、幾度となく己の中の善悪で揺らいでいた彼を毎回脳内会議させなければならない。それほど無から降って湧いた演出上のノイズに戸惑ったのを覚えている。
あるいは中盤に入ってからの怪人陣営の組織図について。有力者を意のままに動かす道具としての闇菓子、およびストマック社が大統領というこれまた突然のキャラクターに目をつけられたことによって、一人また一人と物語から姿を消していく。
望まれず生まれてきた義兄弟を忌み嫌う家族たちとして立ちはだかったストマック社であっても、より大きな権力闘争の駒として利用されてしまう。自らがバイトに課してきたことが返ってくるというような、好意的な観点にチューニングすることはできるが、やはり元々なかったものに対する違和感はノイズとして残る。
その皺寄せとしてストマック社の長兄ランゴとガヴの「美味すぎる」決戦、そしてそのお膳立てとなる「お前は○○自体が間違いだったんだ」は前倒しされた、ように観える。せめてこれが最終回まで引っ張られていれば。
「望まれず生まれてきたガヴ=ショウマにとっての幸せ」の回答を早くに確定させてしまったことで、物語がそこから崩せなくなってしまった。
そこからの『仮面ライダーガヴ』は、どこか終わりに向かってヒリついていく香りを漂わせながら、ややトーンダウンしながら進んでいく。何か、何かもうひと展開、「うねり」を生み出すようなことがあれば。
いや、ない。あるはずがない。平成ライダーのうねりにうねった作品たちで育った我々「色々観すぎたオタク」たちには物足りないのかもしれないが、これが「令和」なのだ。
登場人物の物分りがよく有能で、一寸先も読めなくなるような摩擦は起こすはずがない。こういうことを経験してきたアイツならきっとこう言うだろう、これを間違えることがない。実に、実に緻密でストレスフリー。
……これで。これで本当にいいのだろうか。
いい。紛れもない「公式」がそれを選んだのだから、いい。私のスタンスはこれである。一言物申したくなる、そんな気持ちをグッと抑えて、いや、そんな迷いを共に抱きながら、公式様のお出しした展開をしかと見届ける。私を令和ライダーにチューニングする。
変わらねばならないのは、きっと私の方なのだ。だって制作途中で、私のようなパンピーが思いつくような案、出てきてないわけがないのだから。色んな展開についての議論が交わされて、その度に色んな側面がぶつかって、そうして出てきた。
制作体制が整えられたと聞いた時、一番嬉しかったのはSNSの声に惑わされない作品になりそうだったことだ。ある時点から、視聴者である我々の声が大きくなりすぎた。それに耳を傾けすぎた。私は嫌いだ。諸々の事情など鑑みることなく、ただ推しに死んでほしくないとか、ネタとしておもろいとかでシリーズに居続けさせる声を挙げるファンも、そんな戯言で当初の予定を変更するほど芯の無い作品を観るのも大嫌いだ。
……でも、『仮面ライダーガヴ』終盤の「面白いのに跳ねてない、このじれったさ」だけは。どうしようもなく誰かに話さずにいられなかった。
こんなに面白いのに。なんだろうこの終わりに向かってタスクを淡々とこなしている感じは。それが粛々と片付けられていくことへの物足りなさは。分かっている。これが「令和」なのは重々分かっている。でもなんだ、本当にこれでいいのか。
いや、「令和のライダーってこんなんなってんの?面白いじゃん!」となってくれる人が、1人でも増えてくれないと。だからこれでいいんだよ。でも。今ここに確かにいる。色々観すぎたせいで、もっと裏切られたい。そんなことを願ってやまないオタクが。
救われる日は、果たして来るのだろうか。
とんでもないことをやってしまった。贖罪の気持ちで始めたはずの記事で、いつの間にか特大のブーメランを放ってしまった。
さて、どうしよう。二度と特撮に関わらないか、それとも今ここで世のオタク達と戦うと宣言するか。
……言いたかっただけだ。とうの昔に腹は決まっている。
戦いたくない。オタクの諍いほど界隈の新規を引かせる出来事はない。
特撮は好きだ。辞められるわけがない。
だから一人で楽しみ、一人で考え、纏まるものがもしあれば、たまーにこういうブログでこぼす。
これが見つかって晒しあげられた時、それが私の運命を決める。恐ろしい。夢に出てきそうだ。
誰に救ってもらおうか。