私立アメコミ高校

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『太陽戦隊サンバルカン』を観た

スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、第6弾である。

 

初の民間人で組織され、現在まで続くスーパー戦隊の伝統的な型を築いた『電子戦隊デンジマン』。

 

それを受け『太陽戦隊サンバルカン』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。

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いちかばちかの原点回帰

シリーズ初の3人戦隊、動物モチーフ、合体ロボ……新たに『太陽戦隊サンバルカン』にて加えられた要素は数も多く、またその後の作品でも活きていくバラエティ豊かなものだった。

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このように、産まれる前の戦隊を観ていく中でシリーズ初の要素を見つけていく楽しみを味わっていたのだが、どっこい今回に関しては、軍人で組織された戦隊という、繰り返されてきたお馴染みの要素に着目していきたい。それだけ数を、シリーズを追いかけてきたということか。

 

前作『デンジマン』では民間人で構成されたチームの魅力が作品を通して貫き通され、現代にも通ずる「組織を取るか、私という個を取るか」というスーパー戦隊ならではのテーマを問い始めた作品であった。

 

過去、『秘密戦隊ゴレンジャー』から『バトルフィーバーJ』にかけて、国防組織の兵士という出自であったからこそ『デンジマン』のチャレンジというのは新鮮であり、視聴者の評価を得た。であれば、次作でもそれらを踏襲しようと思うのが人の常ではなかろうか。

 

しかし東映は、それをしなかった。むしろ手にしたノウハウを用いて、新たな組織の在り方を観せる方に舵を切ったのである。

 

全員が軍人であることはもちろんのこと、長官が街の飲食店のマスターであったり、メンバーが代わる代わるパスをしあって敵に爆弾をぶつける必殺技など、『ゴレンジャー』と通ずるところのある描写が数多くあるのが『太陽戦隊サンバルカン』の特色である。イエローがカレー好きというキャラ設定など、この2人だけで強烈に国民に抱かせてしまっているくらいだ。

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ここまで意識的に踏襲したのは、シリーズ5作目にしてはやや時期尚早にも感じられる。しかし、それはあくまで現代のスーパー戦隊シリーズとして、の話だ。

 

ジャッカー電撃隊』が早期打ち切りとなってしまった後、『バトルフィーバーJ』を初代戦隊とし、『ゴレンジャー』『ジャッカー』はいわゆるスーパー戦隊シリーズの流れに組み込まないという時代があったらしい。

 

そういった事情まで考えると、『太陽戦隊サンバルカン』はようやく集団で戦うヒーローの物語が世間に受け入れられ始め、何か制作陣も型のようなものに手応えを感じていて、シリーズが軌道に乗り始めたタイミングで再び、本格的な軍と悪人の物語をやりたかったのかもしれない。何しろ当時の感覚では「3代目」なのだから。

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後年になって2作品がシリーズとして組み込まれ、5代目となった『太陽戦隊サンバルカン』は結果的に原点回帰という印象を持たれはするが、当時はこの作品こそを精神的な原点としていくのだ、という意識もあったのかもしれない。

 

5人を3人に減らし、女性戦士を持たないという、歴史的に見ても大きな決断をしても尚「戦隊やなぁ」となるのは型から外れない物語の展開であったり、『ジャッカー』で真逆を志向しすぎて痛い目を見た東映が塩梅を心得たということなのかもしれない。

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苦難の戦い <M-26、M-17、M-20、M-22>

苦難の戦い

 

剣と女

太陽戦隊サンバルカン』の唯一無二なところは、中盤でリーダーであるレッドの変身者が交代したことである。今のところ、これは本当に唯一無二だ。

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初代がパッとしなかったとは思わないが、それ以上に2代目がその後のスーパー戦隊シリーズの歴史に与えた功績がデカすぎる。それが「レッドの武器は剣」という印象を刻み込んだことだ。

 

それまでの剣の登場といえば、『ジャッカー』のダイヤジャックが個人の専用武器としていた。あるいは『デンジマン』のデンジブーメランなんかは短剣というべきか。どちらにせよ、作品によって扱いが流動的であった剣という武器の納まる先が、現代に至るまでほぼレッドになっているのは間違いなく今作によるところが大きい。

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等身大での戦闘シーンではバク転や宙返りなど、アクロバティックで派手なアクションが繰り広げられるのがスーパー戦隊シリーズのお馴染みであるが、本来東映は時代劇、ひいては殺陣でブイブイ言わせてきた制作会社である。

 

そこにちょうどよく剣道を得意とする若者が2代目レッドを務めることになり、スーツアクターも殺陣の名手とあれば、新入りを愛されるキャラクターにするために使わない手はない。この考えが見事にハマったということだろう。

 

もちろん『特捜戦隊デカレンジャー』のレッドは銃の名手だし、『侍戦隊シンケンジャー』は全員が剣で戦う作品、『獣電戦隊キョウリュウジャー』では剣の名手はグリーンだが、「剣はレッド」のイメージはなかなかに強固だ。『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』では他4人の専用武器に剣がない期間があったが、それは「いずれレッドが剣を手にする」という明確なイメージがあった(し、実際その通りになった)ので、違和感すらなかった。色々な固定観念を打ち破ろうとしている近年のスーパー戦隊シリーズだが、これを変えられる日は来るのだろうか。楽しみに待ちたい。

 

もう一つの唯一無二な点は、変身して戦う女性がいない、ということだ。

 

ごっこ遊びで女子があぶれないように、という計らいで組み込まれた戦隊の女性戦士であるが、前述の通りサンバルカンのメンバーには女性がいない。これに対して復活の声が多く寄せられた結果、唯一無二の男性のみで構成された戦隊となっているわけだが、「戦隊やなぁ」と思う私は言わずもがな男である。全く違和感を持たず観ていたが、やはり当時の女の子や、現在の大きい女性のお友達はムムムとなるのだろうか。

 

太陽戦隊サンバルカン』における女性レギュラー陣の描き方は、当たり前っちゃ当たり前だが前時代的だなぁと思う。

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秘書兼諜報員として活動する長官の娘は時折物語の主軸を担うほど重要に扱われていたが戦闘力に乏しく、サンバルカンが来るまでのピンチを引き立てる前座という印象が否めない。その上最終決戦では敵組織に誘拐され人質にされる始末である。

 

一番すごい(あまり良くない意味で)と思ったのは、悪の女幹部がこれでもかと現れたことだ。前述の通り本格的な軍人戦隊をやりたくなっている場合において味方サイドの女性を極力減らしたい気持ちは理解はできるが、その反動で都合6人の女性が敵組織に所属することにしたのは何かの恨みでもあるのかと思ってしまう。

 

デンジマン』から引き続き登場(サラッと言及してしまうがこれも唯一無二だ。マジで色々やっている)しているへドリアン女王が湧いて出た悪の無頼漢に拒否反応を示す辺りなんかは気が利いているし、その下につくアマゾンキラーは忠誠と野心の間で葛藤する一面を覗かせるなど、なかなか後に続く存在感がある。

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だがしかし4人のゼロガールズは流石にやりすぎだ。それぞれに怪人態があるとか、悪の戦隊になります!とかならまだ分かるが、ただでさえ中間管理職のアマゾンキラーの更に部下、という位置付けでワサワサ画面を賑やかすことに終始している。

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せめてサンバルカンに、正義の志を抱いてスーツを身に纏う軍人としての女性がいさえすれば。そう思わずにはいられない。正義がいて、悪がいて、そしてそのそれぞれに男女があって。こういったところでバランス良く対立構造なり、マッチアップが生まれるのだと思う。

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機械帝国の猛威 <M-16の1、M-12、M-14の1、M-13、M-15>

機械帝国の猛威

 

足したり引いたり踊ったり

このように『太陽戦隊サンバルカン』は、原点回帰と言える土台の上に、後年の作品に繋がる様々な工夫が凝らされた作品であった。

 

あえて工夫と表現したのは要素の足し引きを意味したかったからであり、今作はその塩梅によって絶妙に「戦隊」であったし、ここに東映のモノ作りへの勝負勘、「続けることへの狂気」の片鱗を垣間見た。

 

数々の失敗を経験しただけではただの失敗にしかならない。それを踏み越えて新たなアプローチで同じことをやってこそ失敗にも存在の意義が生まれる。

 

笑点』の山田隆夫さんが演じられた助八さんなんかがそうだ。『ジャッカー』のテコ入れによって無から生まれいでてそのまま無のままで良かったであろう飯炊き係、姫玉三郎と役割はほぼ同じであるが、天性の愛嬌とコンプライアンスを弁えた振る舞いによって、無くてはならないキャラクター、マスコット的存在となった。

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これはあんまり弁えてない。

 

司令塔ポジションでもなく、また戦闘にも参加しないコメディリリーフというのは、たとえば『魔法戦隊マジレンジャー』のマンドラ坊とかだろうか。あのようなキャラクターの源流はすっとぼけたコック見習いであり、その成功の陰にはきちゃない飯炊き係の存在がある。

 

少しづつ視聴体験によって得られた蓄積が「歴史」となっている感覚がある。オープニングやエンディングで踊る戦隊だと思っていたが、サンバルカンは脈絡無く急に子供たちと踊る戦隊だった。

 

原点回帰を目指しながらも貪欲に工夫を凝らす、その燃え上がるプラズマにあてられ、若き獅子たちが目覚める。そういうことを妄想するのも、ひとえに「歴史」の為せる業である。

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前作『電子戦隊デンジマン』の記事はこちらから↓↓↓