家族の一員であることと、家庭を持つということは大きく違う。
何度も言っているが私は元妻との間に息子がいて、離婚するまでの約4ヶ月ではあるが、家庭を持つ、という経験をしたことがある。
妊娠が分かってからの元妻の覚悟の決まりようといったらなかった。カッコよかった。「母は強し」というのはまさにこういうことを言うのだろうと、身をもって感じた。
この人と、この人が産みたいと心から望んでいるこの子のために私は生きねばならないと思ったので、役者の道を後回しにして就職する道を選んだ。
それでも離婚という選択に元妻が踏み切ったのは、ただ単に私の説得が届かなかったとかそういうことだけではなく、己が夢のかわいさに私が消せずにいた選択肢の存在を見透かしたからだろう。「女の勘は鋭い」というのも、まさにこのことだと思う。
子供ができた時、母は強くなるのだとしたら、父は弱くなるんだと思う。より表現を正確にするとしたら、父になることによって、男は弱くなってしまうのだろう。それは身体的にではなく、精神的に。
そしてその強弱の凸凹を補い合うことによって、「夫婦」は「家族」と成るのだろう。男にとっては、これが家庭を持つ、ということになる。
『ファンタスティック・フォー ファースト・ステップ』では、このようなことを私は感じた。
そもそもチームに夫婦が居て、義兄弟が居て、父親より育児の素質がある頼れる親友が居る。アメリカン・コミックスの歴史上、初めて家族で戦うヒーローであった彼らの映画は幾度となく製作されたが、そのどれよりも暖かい映画だった。
地球を滅ぼさんとする存在に究極の選択を突きつけられたメンバー達が最後まで諦めない中で、父親となった天才の脳裏にはどうしても合理的な選択肢が消せない。一連のシークエンスでは思わず目を逸らしそうになってしまった。
そうなってしまった男にとって、母親となった妻の強さは理解を超えている。そして、理解できないものを人は恐怖してしまう。私は理解しようとしがみついたが、結果振り落とされた。今作の父親は違う。絶対に諦めない。最悪の選択肢から逃れるために、どんどん弱くなる。そしてその弱さをチームで、いや、地球全体で補い合う。できることを、やれることを、できる範囲で一生懸命に取り組む。
時代設定が現代であれば、今作のような作戦は有り得なかっただろう。まだ人と人が信じ合うことに対してシンプルに向き合えた時代だからこそ、荒唐無稽なものを受け入れることができる。レトロフューチャーなデザインなどが魅力的に描かれていたが、私はそんな世界で暮らす人々が、国とか人種とかを越えて「家族」のようであった今作が、素敵に感じてたまらない。
どうしてなのだろう。ない知恵絞って考えたが、どうしてもこの結論に行き着く。
我が子というのは、あるいは罪なき命を守りたいという心は、どんなスーパーパワーにも勝る。