オダギリジョーさんに「『仮面ライダークウガ』を映画館で観ることは叶いませんか」と質問したことがある。
これまでのお祭り的な平成ライダー映画でクウガが登場したことは、幾度となくある。
そういうことではなく、あの日あの時幼かった私が、アラサーの現在に至るまで行動の指針としているほどの影響を与えた『仮面ライダークウガ』という「作品」は、オダギリさんの思う「映画という芸術」の芸術性に適うと信じております。どうでしょう、叶いませんかね。
そういう旨の質問をした。
モグリで受けた大学の講義にも関わらず、どうしても聞きたくて質問してしまった。バレたらヤバいのに。
『仮面ライダークウガ』が絡むと、私はどうにかしてしまう。

『超クウガ展』に行った。
これまで仮面ライダーというコンテンツがシリーズとして展示を行うことはあったが、一つの作品のみで、というのは過去に類を見ないことだったと思う。
今後の東映の予定など知る由もないが、現在も続く一大シリーズとそのファンの熱量の高さによって成り立つであろうこの催しの「1号」が、他でもない私の、いやあえてこう言おう、「ぼくの」ヒーロー、『仮面ライダークウガ』であることに、烏滸がましくも誇らしさを抱いている。
2000年に放送されて以来、徹底したリアリティの追求とこだわり故、過去作を蹂躙しちゃって時折ファンから非難されがちな仮面ライダーシリーズにおいても、『仮面ライダークウガ』は相当丁重な扱いを受けている。
それは平成ライダー20周年記念作品であり最後の平成ライダー作品となった『仮面ライダージオウ』において、その最大のセールスポイントであったオリジナルキャストの再演というのが叶わなかったことでも察するに余りある。佐藤健ですら出演させた『ジオウ』が、それでも誰一人(映画のミイラはまぁ……うん……ねぇ……)出せなかった『仮面ライダークウガ』。
私のような「原典」を根強く愛し続けている人間が沢山いるおかげで守られ、また「再復活」は叶わない。そこに複雑な気持ちを抱いているのもまた事実である。
そこまで思わせるような作品がどのように作られたのかを詳らかにしていく『超クウガ展』は、控えめに言っても大満足のボリュームだった。
全国各地から取り寄せ、パーツごとに状態のいいものを選別、場合によっては修繕を行い、当時のスーツアクター、富永研司さんが着用したものを3Dスキャンすることで、正真正銘あの時のクウガが、まるで生きているかのような存在感を放つ立像の数々(超立像)。
メインライター・荒川稔久さんの書き下ろし、ナビゲーター・オダギリジョーさんによる展示内容の紹介だけでなく、当時のスタッフとの対談まで実現された、90分では到底味わい尽くせない聴きごたえの音声ガイド。
有志によるクラウドファンディングによって細部まで再現された、オリエンタルな味と香りの……カフェ「ポレポレ」のセット。
劇中で使用されたバイク・ビートチェイサー2000、覆面パトカー・通称「一条車」、そしてクウガと記念写真を撮れる撮影会。
その他、まだ「XV(クロスブイ)」や「オーティス」などと呼ばれていた頃の膨大なデザイン画、幾度となく改訂され、同じエピソードのものが複数冊出稿されている台本のコンプリートセット、遺跡や教会のセットを組み立てる際に使用した図面、夜通し展開の議論が行われた撮影所の模型、当時の様々な玩具など、『仮面ライダークウガ』にまつわる表も裏も余すところなく所狭しと展示されていた。
それらの裏側にあったのは、たとえ子供向け番組であっても絶対に手を抜かないという作り手のプライドと、それを満たすために貫かれた狂気的なまでの情熱だった。
私は嬉しかった。事ある毎に言及をしてくれているが、スタッフから役者から、何から何まで、一度たりとも子供をナメた制作を行っていなかったからだ。
いち視聴者として大人も子供も優劣なく、対等なところでモノづくりをしてくれた大人の作品を観て育った。
それだけではない。そんな作品を世に送り出そうとするその出発点、飽くなき探求のモチベーションとなったのは、私と同じように、彼らにも忘れられない「ヒーロー」がいたからである、ということを知ることができた。
ヒーローという暴力に影響を受けた少年たちが成長して『仮面ライダークウガ』を作り、それにまた影響を受けた我々のような人間がヒーローという暴力について考える。そうして育った人間の中には、実際に今のヒーローを作っている者もいる。
私はといえば、役者という立場で作品に関わることこそすれ、作り手としてのゼロ→イチは放棄しているとも言える。
私は怖い。『仮面ライダークウガ』となるとどうにかしてしまう自分が、それを抱えたまま妥協なきモノづくりのゼロ→イチに挑むことが怖いのだ。
今の私では超えられない。足りないことが多すぎる。
だから私は自分の「好き」を突き詰める。歴史を追いかけきれていない。技術や知識に穴がある。ビジョンはあってもそれを伝える術を持たない。足りていないところをあげればキリがない。その助けをヒーローの歴史に求めている。
中途半端なヒーロー好きのままでいたくない。戦う覚悟ができていない。『仮面ライダークウガ』に対する私の答えを、未だ私は出せていない。
「答え」といえば、冒頭の私の問いかけにオダギリジョーさんがどう答えたかをまだ言っていなかった。
「貴方が作ればいいんじゃないですか?」
恐ろしいほどドライで、それでいて大きい。突き放すようにも聴こえたその答えは、「いや違うんすよあの日あの時のスタッフ陣でもう一度『仮面ライダークウガ』を観たいっていうそういうことを言いたいのであってですねぇ……!」とやきもきした当時とは聴こえ方が違っている。
次は、私たちの番なんだろう。
それを伝えたかった展覧会だったと、私は思う。「やれるもんならやってみな」という挑戦状とも思える。伝説は塗り替えるものならば、やらねばならない。
だって私は、
自宅に帰ってすぐに音声ガイドを何度も聴き返してなんとかオダギリさんと髙寺Pの対談を文字起こしし、
オリジナルの古代文字で「我 クウガと 共にあり 手と手を繋ぐ 優しき 戦士なり」というステッカーを作り、
せっかく精巧に作ってくれたんならと思ってポレポレのカウンターの中に入ってもいいか聞いてスタッフさんを困らせ(ごめんなさい)、
母に「後悔するな」と背中を押された上に資金まで提供してもらって参加費5万円のクラウドファンディング特典のナイトツアーに参加し、
後悔のないように思いっきりグッズを買って11万使い、
展示の鑑賞中ずっと泣きそうなのを必死に堪え、
1枚3,000円する写真撮影に3回参加してスタッフさんに「また!?」と驚かれ、
1回目の撮影の前に泣きそうなのを必死に堪え、
東京ドームに向かうまでの電車で泣きそうなのを必死に堪え、
暑いかもしれないのにどうしても着たくてクウガのマークが刺繍されたパーカーを着て家を出て、
泣いている子供がいれば見せてあげようとジャグリングの球をリュックに詰め、
なんなら自前の半袖白Tに自分でクウガの刺繍したろかなと真剣に検討し、
開催が近づくにつれて仕事中に泣きそうなのを必死に堪え、
どうしても初日に行きたくてそんなに必要ないフィギュア付きの先行抽選チケットに応募し、
いつから始まるか情報がなかなか出なかったのでずーっとやきもきし続け、
開催が発表された日に涙を流し、
息子に再会できた時がっかりされないような、青空のような人間になると誓い、
自分の息子に「ゆうすけ」と名付け、
母に布教し、
「リアル志向の仮面ライダーなんかクウガで観たしなぁ」と『シン・仮面ライダー』に心ときめかず、
彼女に布教し、
モグリの授業で大胆不敵にもオダギリジョーさんに質問し、
オダギリさんの役者の学校時代の同期に当時のことを質問しまくり、
たまたまオダギリさんがメソッド演技を学んだ学校で芝居を学び、
何か特技を身につけたいとジャグリングを練習し、
「皆を笑顔にしたいとか偉そうなこと言うな」と『ウルトラマントリガー』に心ときめかず、
クウガモチーフのスニーカーを履かないのに買い、
「笑顔がどうのこうのとかきな臭いこと言いよるなぁ」と『仮面ライダーゼロワン』に心ときめかず、
クウガのキャストさんが出ることを夢見て『仮面ライダージオウ』夏映画初日に観に行って夢やぶれ、
クウガのキャストさんが出ることを夢見て『仮面ライダージオウ』最終回を観るためにバイトを早退し、
クウガのキャストさんが出ることを夢見て『仮面ライダージオウ』冬映画初日に観に行って夢やぶれ、
『仮面ライダージオウ』情報解禁に伴い「クウガは?クウガはどうなりますか!?!?」と興奮し、
キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースに五代雄介を重ねて憧れ、
持て余した時間を使ってTSUTAYAで『仮面ライダークウガ』をレンタルして好きなシーンをカメラで撮り、
ライジングアルティメットに「いや〜これどうなんすかね〜まぁまぁまぁいいんかな〜」とモチャモチャし、
『仮面ライダーディケイド』でクウガが変身する度に「おっ!今日こそ活躍せえよ!」「せえや!!」とジタバタし、
『仮面ライダーディケイド』で門矢士が「おれはこいつの笑顔を守る」と言った時「よう言うた!よう言うた!好きです!!!」と万歳し、
YouTubeで『空我』のダグバとの戦いを観て「やっぱりおれはとんでもないものを観ていたんだ」と再確認し、
親にソフビを買ってもらって並べて写真を撮ってもらい、
毎週欠かさずにテレビに向き合って『仮面ライダークウガ』を楽しみに観て、確かに何かを感じていた、
『仮面ライダークウガ』で育った、1996年生まれの「リント」だからだ。