私立アメコミ高校

本当はもっとアメコミのこと喋りたいけどね!

サンダーボルツ*

私がこのブログを始めたのは、人生において大切なことを学べたアメコミ映画というジャンルに対して、何か少しでも貢献できることはないかと思ったからである。

 

作品数が膨大になってきつつあったMCUを観たいと思える人が少しでも増えたら嬉しかった。だからネタバレをしないということを信条にしていた。

 

楽しかったが、明らかに無理をしていた。MCU自体に翳りが見えてきた辺りから、明確に苦しくなってきた。ファンですら食傷気味になっているシリーズを広めようとする行為に、エゴ以外の何ものも感じられなくなってしまった。だから休んだ。

 

元妻の妊娠や出産などもあり、こんなことにかまけてられないというのもあったが、それでもやり続けた芝居と、辞めたブログ執筆の違いはただ一つ、好きでいられなくなったからだった。

 

去年再開した時に、もう一つ信条を定めた。自分のことを書く、ということである。

 

今の今になっても、この記事では映画の内容には触れていない。ネタバレをしないようにしているのではなく、直前に観た自分の生の感覚を残しておきたくてやっていると、自然とこうなっていくだけだ。

 

こういうスタイルは「隙あらば自分語り」と揶揄されることが多いようだが、上等だ。私は私の、今まで生きてきた中で刺さった好きがあるからこそ、自分を交えて映画を語る。どうせこんなブログ観るのなんて物好きだけなんだから。

 

このスタイルを気に入っている。そもそもアメコミ映画に人生の教訓を見出しているような人間なので、雑記に絡めた方が書きやすい。

 

過去記事でも言ったが、今のMCUは残りカスのキャラクターで世界と物語を構築した上で、そのやり口で天下を取った過去の自分自身を超えなければならない無理ゲーを強いられている。

 

無理ゲーたる所以にはもう一つあって、MCU自身が作り上げたアメコミ映画ブームで様々なジャンルを内包した数々のアメコミ映画が生まれたことによる、似たような展開の繰り返しというのがある。

 

実際今作では負け犬、悲しい過去こそ背負っているが敵として登場したキャラクター同士のセラピー映画になっていた。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『スーサイド・スクワッド』で散々観た。

 

映画やドラマで散々描かれた過去があるからこそ、それらとはこちらの思い入れというか、報われてほしいと思えるキャラクターもいる。……まぁ、それはそれとしてしっかりクソったれな奴もいるんだが。

 

ただ、久しぶりにMCUじゃないと作れない映画を観れた気もする。思い入れの差や違いこそあれ、観る前からここまで勝手知ったる人間たちで構成されている映画はなかなか作れないと思う。

 

知っている人間で知っている展開をされて、芸がないとならないのは悪役スタートのキャラクターをメインに据えた映画の強みだなと思う。まだギリギリエンタメとして味がする。ぼちぼちしがみきれなくなるが。

 

芸がないとは言うが、自身のトラウマや後悔と向き合うセラピー映画において、だいぶ我々の実体験に侵入してくるものになっていたようにも感じる。

 

自ら命を絶つ人々が世界には数多く存在してしまっているが、その手段は様々である。ではそれらの内、もっとも孤独なのは何だろう?そんな思考を巡らせる瞬間があった。

 

人の死に優劣など無いことは重々承知の上で、敢えて考えた結果を表明すると、私は線路に身投げする人がそうではないかと感じた。

 

そんな行為に自らを向かわせてしまうほどの出来事が起こっているにも関わらず、誰にも共有できず死んでいき、挙句「迷惑かけんなよ」「死ぬなら一人で死ねよ」と言われる。死してなお世間から冷ややかな目を向けられ、次の日には何事も無かったかのように同じ人間たちが同じ時間の電車に乗っていく。グロテスクだ。

 

死にたいと思ったことがあるという人は意外といて、実を言うと私もそうだが、当時は線路に吸い込まれそうになったことがある。その度に踏みとどまって、水ぶっかけられた犬のように顔をブルブル震わせて希死念慮を振り払うのだが、それはなんとか「まだ生きていたい」が「死にたい」に勝てただけの話だ。あるいは死んだ後の冷ややかな目を想像して恐怖が上回っただけという見方もできる。

 

どちらにせよ、震えたくらいでその「死にたい」は消えない。生きている限り影の如くついてくるのに、世間はあまりにもそのSOSに無頓着だ。

 

多分今日、同じ回に『サンダーボルツ*』を観たあの人も、あの人も、何かしらの苦しさを抱えている。

 

どうせ映画なんて一人で観るものだから、感想を共有するなどバカバカしいと思っているくせに、僅かに残った「どこかに分かってくれる誰かがいてほしい」という気持ちを誤魔化すためにブログを使っている私が、初めて顔も名前も知らない人に声をかけて直接話をしたい、話を聞きたい、その一歩手前まで行った映画だった。

 

お姉さんが地下鉄の行先を見失ってたらおとなしそうな青年2人組がスマホ使って調べて教えていた。

 

その地下鉄で向かいに座ってたお兄さんがAirPodsを落としたから、拾ってお兄さんの隣に座っていたお姉さんにパスした。

 

きっと独りじゃない。世界はやっぱり優しいんだと思う。思っていてほしい。

 

『サンダーボルツ*』はそういう気持ちを思い起こしてくれる映画だった。

 

最近、悩みを話してくれた友達がいる。彼女に今作を勧めてみようと思う。そこにエゴは、欠片も無い。