スーパー戦隊シリーズ50周年を記念して勝手にスタートした制覇企画、第2弾である。
偉大なる1作目に果敢に挑み、渋さを増したスパイアクションで勝負するも、思うような評価は得られなかった『ジャッカー電撃隊』。
そこから1年以上の空白を経てスタートした『バトルフィーバーJ』にはどのような物語が描かれ、またそれが平成生まれのヒーロー好きの目にはどう映ったのか、その率直な感想を記しておく。

ファースト・ステップ
初めてのロボ。顔出しレギュラー女幹部。長官ポジションのメイン回(これは『ゴレンジャー』やったかもしれん)。長く続くシリーズの最初期を観る醍醐味は、こういった「初」を目の当たりにできることにある。
『ジャッカー』で一度打ち切られ、その間の空白を東映版『スパイダーマン』で埋めた後始まった『バトルフィーバーJ』は、『ゴレンジャー』『ジャッカー』の系譜を辿りながら、『スパイダーマン』の成功を受けてアップグレードさせた印象が強かった。
まずはスーパー戦隊シリーズ初の巨大ロボ。「バトルフィーバーロボ」じゃなくて「巨大ロボ バトルフィーバー」らしい。『キングオージャー』におけるキングオージャーかて。

スーパー戦隊シリーズ単体で見てみると突然無から現れたようだが、間に『スパイダーマン』、及びそこで鮮烈な印象を与えた巨大ロボ、レオパルドンの存在があったことを知ると、脳みそのシワがまた深くなった感じがする。何より私の好きなアメコミが、遠く離れた国のヒーローシリーズ存続に一役買っていたとは。
……まぁ、本家のスパイダーマンはロボなんか持っておらず、『スパイダーマン』が突然ロボをお出ししてきたので、じゃあなんで急にそんなアイデアを?とはなるのだが……これはあくまで『バトルフィーバーJ』の感想記事なのでほっとこう。
それによって生まれている「巨大戦」という概念も面白い。人間サイズの怪人との戦闘は「等身大戦」と呼ばれたりしていて、その等身大戦にて怪人を撃破した後、元々そういう生態だとか、呪文とかビームとか、なんか食ったりとかして巨大になる、というのがシリーズのお決まりなのだが、『バトルフィーバーJ』では謎に等身大怪人と巨大ロボ怪人に兄弟/姉妹の関係性が当てられており、同時に出現することも頻繁にあった。
兄弟設定こそなくなっているが、等身大戦と巨大戦が同時並行される描写がある戦隊は割とあって、現在放送中の『ゴジュウジャー』なんかが正にそうだ。あっちは戦う相手が違うので、『バトルフィーバーJ』のアレンジといったところだろうか。
ロボで言うと、初めての満月切りが観れた時、正確には鞘から電光剣を抜く時に「確定演出きた!!!」と思わず立ち上がってしまった。

剣を頭上に掲げたかと思えば、そこから円を描くようにぐるりと一周させ一気に振り下ろす、いわゆる「満月切り」と呼ばれる戦隊ロボの定番必殺技。あまりにも擦られすぎて最近ではやってくれないからこそ、こうしてシリーズ初の瞬間を観ることができたのは本当に嬉しかった。多彩な武器を持ちながら序盤の必殺技が小刀投げるだけやったの、なんなんやろうね。斧とか鎖にも必殺技持たせてあげればいいのに。そういうのはもうちょっと先の話か。
満月切りに息づいているように、東映の本分、時代劇の型とその貫禄も感じられたのが長官ポジションのメイン回。鉄山将軍が画面に現れた時の引き締まり方といったら。その上前線に立って剣を振るうこともあったりなんかして、『デカレンジャー』のドギーには彼の(精神的な)遺伝子が受け継がれていたことをひしひしと感じた。

悪役の顔出し女性幹部、サロメも良かった。なんせしっかり悪い。怪人と現場で連携をとるのも彼女だし、必要とあらば変装してバカ高いサンマを買うサクラ役もやる。しっかり強くて、そしてしっかり不憫な幕引きをする。お試し感覚で登場させたぽっと出のキャラクターやと思ってました。ごめんなさい。

躍動するキャラクター
将軍や女性幹部に魅力があるのだから、当然メインキャラクターも非常に愛すべきメンバーとして造形されていた。
それぞれに得意な踊り、そしてその発祥となる国のイメージが性格として割り当てられ、変身していなくてもその人と分かる明確なキャラ付けが光っていた。
特定のキャラクターにスポットを当てた「単独主役回」も多く、キャラ自体に要素が盛り盛りなおかげでバリエーション豊かなのが優勝。フランスとケニアのエピソードは特に面白く、コミカルな中に熱さがあるのがシンプルなヒーローもののストーリーラインとしてやはり強いと感じた。
役者都合で2回の交代劇が行われるが、そのどちらも成功していたように思う。コサックはどちらも甲乙つけがたく、2代目が加入してすぐはオリジナルメンバーと反りが合わなかったが、徐々にその能力の高さが認められていくという、いわゆる追加戦士のエピソード展開がもう芽吹いていたのが印象的だ。
アメリカはちょっともう申し訳ないくらい2代目の印象が強い。初代が外国人で日本語喋れなかったらしく(『古原靖久TV』でフランスが言ってた)、まぁ出番が少ない。その遅れを取り返すかのように2代目はとにかく現場、現場、現場だった。女性諜報員が引き継ぐとかでも良かったんでないの?と当初思ったが、すぐに撤回した。ごめんなさい。女性に謝ってばかりいる。
ジャパンはオープニングで雄叫びあげてるのがツボだ。

……ウソウソ。これだけで終わるわけない。他と比べてキャラクターのクセこそ少ないが、だからこそ皆に慕われるレッド、リーダーとしての存在感があった。地元(若かりし頃の遠藤憲一がいる。アナタ『カクレンジャー』が初特撮やなかったんやね)には三日三晩水を汲んで運び続ける神事があったり、妖術使いの隠れ里と交流を持っていたり、謎が多い人物だ。あとオープニングで雄叫びをあげている。
キャラクターに関していえばやや暴走気味なところもあり、倫理的にどうなってんだこれみたいな発言や行動が度々見受けられた。まぁギリ楽しめたけど。ただカナヅチの子供をプールにブン投げて特訓させるのはアカンよさすがに。冷や汗かいたわ。


「戦隊」のリズム
幼い頃に初めて見たバトルフィーバーの印象は「こんなんが戦隊?」だった。共通のフォルムをしておらず、マスクというよりは人の顔に近く、カラーも黄色なのかオレンジなのか、緑なのか黒なのか分かりづらい。当時テレビで観ていた戦隊のそれとはかけ離れていて、何か異質な感じを抱いていた。
しかし不思議と、「好きかも」と思っていた。戦隊らしいビジュアルではないかもしれないが、そこには確実なキャッチーさがあったんだと思う。
そして約20年の時を経て視聴するに至り、そのキャッチーさは明確な輪郭を持つようになる。
まずもってテンポがいい。事件が起こり、作戦を立て、戦い、撃破して和やかに〆る。知っている「戦隊」のお話のリズムが既に息づいていた。短すぎず長すぎず、キャラクターの持つパワーでもって話がグングン前に進む。
そうして生まれる「観やすさ」は、全52話を1ヶ月足らずで駆け抜けたことで証明されているだろう。『ジャッカー』で苦戦したので戦隊制覇の目標に不安があったのだが、希望の光が見えてきた。
微妙なリズムの違いが、今後どの辺りで固まり、「戦隊」としての強度を高めていくのだろう。これからもまだまだ「戦隊初の○○」には出会っていく。様々なチャレンジがあるのだろうし、当たり外れも当然あるはずだ。その行方を追いかけるのも楽しみだ。
その瞬間に立ち会えた時、私にはまた稲妻が走るのだろう。たとえばそう、今作で既にメンバーが「インベーダーゲーム」をやっていたりする時に。

前作『ジャッカー電撃隊』の記事はこちらから↓↓
