役者の学校に通ったことで困ったことがあるとすれば、共に芝居をした学友が出た作品を観ずにはいられない、ということだ。
仲間でありライバルでもあった当時は意地を張って観ないという選択肢も取れたろうが、社会人となった今、芝居という行為では奴らを助けてあげることはできないので、なるべく作品を観て感想を述べる、そうすることでなんとか自己満足している。
この前は仲間が今まで観たことも興味もなかった『相棒』に出ていた。セリフのあるエキストラのような立ち位置であったが、役者ってこういうところからスタートしていくものなので、とにかく頑張ってほしい。

『都会のリュウ』は学生が制作した映画であるが、これまた仲間が出演した作品である。それも主演で。こんなに嬉しいことは無い。
この度U-NEXTでの配信が始まったので、ぜーんぜん守備範囲のテイストではない映画なのを承知で観た。感想を直接言うと恥ずかしいので、なるべく堅い文章でブログに記録することにした。なんか矛盾している。
いわゆる「確固たる自分」のようなものを持たず生きてきた女子大生が、地方から人探しのために上京してきた男との出会いで人生に変化をもたらされる話だ。淡々とした日常、ガールミーツボーイ、なんか分かったようでよく分からん感じ。どれをとっても私の普段観るのとは違う。
意志というものを持たず、周りに流されるように生きている主人公が、偶然出会った男の手伝いをしていく内に惹かれていき、あろうことか探し人の代わりになろうとまでするあたりには、年頃の若者が持ついじらしさと危うさが同居しているように見え、そしてそれが異性の私にも分かるくらいには感覚としてあるあるに近いものであることを感じ、学生が監督しただけある、新鮮な体験だった。
テレビの向こう側の世界に憧れを抱きながらも、結局踏ん切りがつかないまま大学に入り、スーツを着るイメージが湧かないまま就職活動をしなければならない時期にさしかかってようやく「役者になる」と決めたことを思い出した。
反抗期もなく、学校や家でも器用に立ち回ってきた人間のキツいところだ。人の顔色を伺い、人が望む自分を取り繕う。そしてそれができてしまうが故に、自分が分からなくなる。何がしたいのか、その問いの前には常に、この集団における立ち振る舞いの最適解は何か、がある。
そうやって社会に振り回された人間のストレスというのは今作でも描かれたように、どこかで限界を超える。私は22歳の7月にそれが来た。幸いにも私には帰る故郷があり、家族がいて、毎日のように様子を見に来て外に連れ出してくれる友人がいて、人が人を大切に想うということに条件など要らないということを感じられる瞬間があった。今作の男にとっては、主人公がそうなり得たかもしれない。
あるいは、何がしたいのかの答えにようやく辿り着いたとして、ではなぜそうしたいのかという新たな問いに、やはり周りの人の影響があったことを分かった時、その目を過度に気にしていた自分がアホらしくなったとも言える。これまた主人公がそのことに男のおかげで気づけたようにも観えた。
人は人との繋がりの中で苦しみ、そして癒されもする。よくある結論だが、それを若者の視点と感覚で描いた、素敵な作品だった。
主演した学友についてだが、器用な芝居をする役者だ。やりたいことは明確に伝わるし、シーンの意図も的確に読めていて、その中の自身の役割を心得ている。だからこそ、自分が分からないという今作のキャラクター造形は彼女の(撮影時点での)本質を突いていたと思う。
見ようによってはつまらない芝居である。誤解を恐れずに言うし、私がこういうことを脊髄反射で言ってしまう人間であることを彼女が知っている、ということに甘えて言うのだが、彼女がこれ見たらなんて言うんだろう。こーわっ。
在学当時、何かが足りない、何かを変えなければいけないと私は思っていたが、彼女はどうだろうか。きっと変わっていると思う。少なくとも現状維持を求めるタイプの役者ではなかった。
まぁただやはりと言うべきか、初っ端から主演て、とは思う。カッコいいなぁ、お前。
役者の学校に通ったことで嬉しいことは、共に芝居をした学友が出た作品を観ずにはいられない、そんな自分がいることに気づかされる、ということだ。