私立アメコミ高校

アメコミに関する様々な授業をしていきます

【哲学】好きなものとの「距離感」について

こんにちは!先日「アメコミの落し子」という称号を頂きました。ワキリントです。

 

あの時はびっくりしたなぁ。だっていつもは多くても50かそこらが関の山の当ブログの閲覧数が150とかになりましたから。

 

びっくりしたぁ〜。ふかづめさんすっげ〜。って思いましたよね。

 

皆さん調べてみてください(リンクを貼れない)。話題作から知る人ぞ知るレア作品まで網羅したふかづめさんシネマ一刀両断

 

皆さん調べました??ぼくね、そんな人から「アメコミの落し子」って称号貰ったんすよ。

 

ただぼくが気になったのはそこじゃなくてですね。

 

ふかづめさんからこんなことを言われたワケだ。

(前略)なんというか…「ワキリントさん」と「アメコミ」の距離感って、傍から見ていてすごく気持ちがいいんですよ。

 

これを読んだ時こう思いました。

…………ほぉ。

 

なんか唐突に言われたことなんですけど、これがやけにしっくりきましてね

 

いやなんとなく実感はあったんですよ。「他のとは違うな」みたいな感覚。

 

今回はこの、「アメコミとぼくとの距離感」についてちょっと掘り下げてみようと思います。

 

皆さんも各々の好きなものを思い浮かべながら、記事読んでいただきたいと思います。

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限度を決めた

ぼくとアメコミの繋がりは浅からぬものがありますが、今ほどハマったのは大学1年の頃です。

 

その時にまず、「購入するのはDVDのみ」というラインを決めました。そして現在に至るまで、そのラインはやんわり守られています。

 

この「やんわり」というのがポイントだと思います。

 

未だMCUのものしか揃えられていませんが(これでも大概ヤバいとは思っている)、いずれはDCEU、それ以前のダークナイト・トリロジーなんかも手中に納めたいなという野望は秘めています。

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今年の7月の時点で出ていたMCUのDVDを揃えた時の写真。なぜ比較としてしゃもじを置いたのかは当時のぼくに聞いても分からないでしょう。

 

しかし人生には予期せぬ出来事がつきもの。アメコミ好きが周知されるようになると、ひょんなことからコミックスを貰ったり、誕生日プレゼントでグッズを貰ったりすることがままありました。

 

そのときに「まいっか、こういう手に入れ方なら」不可抗力を認めるんですね。しゃーないやんけと。たまにはこういうのもええやんけと。

 

どっぷり浸かるのを避けてはいるけど、絶対に近寄らないと固く誓った訳でもない。これがアメコミとぼくとの「モノ」に対する距離感です。

 

平和賞をください

「モノ」とくると「ヒト」となるわけですよ。当たり前ですね。ホークアイ先生の矢が当たるくらい当たり前。

 

さて、あるコンテンツが一定の認知度・ファンを得るとどうしても、相反する「好き」が衝突して諍いが起こることが多々あります。

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何事かと思ったらうちわに土下座してるらしい。ジャニオタこえぇ〜!

 

アメコミ界隈でもちょいちょい荒ぶってる方を見かけたりしますが、そういう方に対するぼくの立場はマジで蚊帳の外です。

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偏見を交えて例を挙げると、そういうファン同士のバトルって私の推しの方が尊いんですけど〜!?!?はァーーー!?!?みたいなの多くないですか。

 

そこでぼくは「あ、こういう人にはならないようにしよう」と思うんですね。

 

ああいう方々の好きという気持ちは素直に尊敬するし、大切にすべき感情だと思うんですがね。

 

ただその……アンタの「尊い」を押しつけられても困るっていうか…ねぇ……

 

そういう人に限ってガチガチに論理武装してる人同士の対決になるから、小賢しくガードされてパンチが響かないみたいな、見てる側もスッキリしない戦いが繰り広げられるんですよね。

 

だったら私の方が好きだしー!!の方がまだお互いノーガードでインファイトかましてくるから微笑ましいでしょ。ララパルーザだよ。「ナイスファイト!」って言わしてくれよ。

 

てめぇの頭ん中の二次創作はセルフで愛でとけや。アンタのそれはもう宗教みたいなもんや。

 

とまぁこうなるわけです。どちらにせよファン同士のバトルというのは傍から見てその界隈にいい印象を一つも与えないので、アメコミ繁栄のために非暴力・不服従を貫いてます

 

「アメコミの落とし子」の次は「アメコミ界のガンジーと呼ばれてみたいもんです。

 

ほらここ、「学校」だからさ。

何より決定的なのはアメコミに対する「姿勢」なんじゃないでしょうか。

 

前に「映画には学びがある」というお話を誕生日企画でお話しさせていただきました。

 

つまりぼくはアメコミ映画を「学びの教本」「教科書」として観てるんですよね。

 

このブログがそうであるように、ヒーローはぼくにとって先生なのです。決して萌えであったり尊さを感じたり、ましてやゆかりのあるグッズを揃える対象では決してない。

 

皆さん学校の先生にそんな感情抱いたことあります??え?ある?

 

んなアホな。マンガやあるまいし。

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たまに見受けられる「教師と生徒のラブストーリー」。はぁ?犯罪やからなぁ。

 

学びに来ているという根本の姿勢が違うからこそ、「気持ちがいい」距離感が生まれているのかもしれませんね。

 

ぼくが好きなのは、本当はアメコミではないのかもしれない。

 

それらに登場する人々が往々にして持つ「ヒロイズム」こそが、ぼくが本当に好きなものなのかもしれません。

 

好きなもんがあるだけマシ

さて、アメコミとぼくとの距離感を巡る禅問答はこの辺でおしまいです。ぼく自身にとって非常に有意義な時間になりました。2週間くらいかかったけど。

 

あーだこーだと講釈をたれましたが、皆さんには「ぼくみたいになれ!」と勧めているつもりはこれっぽっちもございません。

 

先程も言いましたが色んな「好き」があって当たり前。それを堂々と言えるのも当たり前になりつつあります。

 

そして「のめり込んでしまうほど好きなものがある」ということのどんなに幸せなことか。

 

「どんなにつらくてもおれにはこれがある!」という気持ちを長らく持てなかったぼくが言うんだから恐らく間違いじゃない。その気持ち、大切にしていこな。

 

うんうん、久々に良さげな締めができた気がする。(は?)

 

それでは!